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ウエスト・サイド・ストーリーのstanleyk2001のレビュー・感想・評価

4.0
『ウエスト・サイド・ストーリー』(West Side Story)2021

映画の冒頭は解体された建物の廃墟。クレーンに吊るされた大きな金属球がウエスト・サイドの古い建物を壊していく。廃墟の床下からジェッツが現れる。

ジェッツとシャークスの喧嘩に割って入ったシュランク警部補はこの街は再開発されて更地になるのだと告げる。ここが1961年版に全く無かった台詞。ジェッツやシャークスが争っている縄張りはおろかウエストサイドの街自体が間もなく消え去ってしまう。

「1961年の映画が撮影された後マンハッタンのウエストサイドは再開発され高級化された為2021年版の撮影は1960年代の外観を残しているハーレム、ブルックリン、ニューアーク、ニュージャージー州パターソンで撮影された」(IMDB)

舞台となったウエストサイドは現在リンカーンセンターがある。
ロックフェラーが開発した文化施設達。メトロポリタン・オペラ・ハウス、ニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地デビット・ゲフィン・ホール、ニューヨーク・シティ・バレエの本拠地デビット・H・コーク・シアター、ジュリアード・スクールなどなど。

予告編の中にもあるカット。Cocina criolla Abiento ahora 「クレオール料理 営業中」の看板をジェッツのメンバーが剥がすとアイリッシュパブの看板が現れる。アイルランド移民の街にクレオール(カリブ海生まれ)達が入って来た。その事を欧米系のジェッツは気に入らない。

アイルランド移民をプエルトリコ移民が追い出して最後にロックフェラーが全ての移民を追い出した。

「アメリカ」の群舞場面に建設予定の高層マンションの完成予想図が描写されている。

ロックフェラーが作った劇場や学校はシャークスやジェッツのメンバーには手が届かない世界だ。

この映画の登場人物は全て開発事業者によって排除されたのだと描くスピルバーグ。

1961年の映画が撮影された後、街に起きた変化まで取り込んでいる。

日本映画の父牧野省三は映画を成り立たせる三要素として「1、スジ。2、ヌケ。3、ドウサ」を挙げた。脚本、撮影、演技だ。

ストロンハイムの歌詞、バーンスタインの音楽は「スジ」だろう。そのスジの持つ強さ。「トゥナイト」「アメリカ」「マンボ」「クール」の楽曲が流れると胸の奥の方に熱いものが込み上げてくる。

ヤヌス・カミンスキーがコダック35mmフィルムとパナフレックスで撮影した画面の陰影が素晴らしい。

そしてマリアを演じた18歳のレイチェル・ゼグラー。シャープで血の匂いを振り撒くマイク・ファイスト。たくましいアニタを演じたアリアナ・デボース。皆素晴らしい演技だった。

スピルバーグがなぜ今「ウエストサイド物語」をリメイクしたのか?その問い自体が多分違うのだ。1957年から「ウエスト・サイド・ストーリー」は舞台で上演され続けている。つまり「忠臣蔵」の様に長年愛されて来た出し物なのだ。スピルバーグは61年の映画をリメイクしたのではなくて1957年から上演されているブロードウェイミュージカルを再び劇場映画化した。「忠臣蔵」が何度も映画化されたのと同じ。

そして1961年版と違うところは拳銃がどこから現れたのかを詳しく描いている事だ。61年版では台詞の中で突然現れた「チノの拳銃」の出どころ、拳銃を巡る争いが描かれた。これも良かった。

群舞シーンもスピルバーグ版が優れている。ジェローム・ロビンスは床スレスレにカメラを固定しているがスピルバーグのカメラは縦横に動きながらもダンサーの動きを余すところなく捉えている。「1941」のスイングスイングスイングを思い出す。スピルバーグは昔からミュージカルをやりたくて仕方なかったのだろう。ついに夢が叶ったのだな。

そして元々シェイクスピアが書いた恋愛悲劇の骨組みがとても力強い。登場人物の思い、行動が暴走し、すれ違って、ああ、こうなるしかないよなとおろおろ涙を流すことしか出来ない。

映画を観てから時間が経ってもなんだか心がぽかぽか暖かい。熱いドラマを演じた彼らは全ていなくなってしまった。しかし彼らの思いは私の中に残り続ける。

余談。
警察署から次々と出動するパトカー。鉄腕アトムのワンワンパトカーみたいだった。
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