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男はつらいよ お帰り 寅さんのninjiroのレビュー・感想・評価

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暗い長い迷い道、あの日教えて貰ったように、ああ生きてきて良かった、そんな風に思える日の為に生きている。疲れ果てた帰りの江ノ電、一緒に揺られる小さな僕にはまだ意味のわからなかったあの小さな涙の訳も、いつか笑って話せる時が来る。
観客の殆どはおよそ七十も越えた年配と見られる人たち、普段見慣れた劇場の風景とは少し違って見える。昔の劇場ではそうだ、映画なんてのはちょっとよそ行きの娯楽、楽しければ笑って、驚いたら思わず叫んで、泣きたい時には泣けばいい。そして今日日珍しく潔い程短いエンドロールの間、劇場に客電が再び点るまで、誰一人も席を立つ人は居なかった。それは当たり前だと思った。
寅さんが初めて劇場に登場してからちょうど半世紀、あの日あの頃の風景を乗せて、懐かしむばかりの私たちの心の成分にはいつも少しばかりの哀しみがあった。叔父さん自身はあんなに好きだった人に振られてその後、何度その顔を思い浮かべたのかな。僕らだって時折思い出しては心が痛むのに、風に吹かれている間にいつか忘れっちまえるもんだろか。少しばかりといいながらも長い蓄積、私たち日本人の心は流転して五十年を掛けて変わり続けていった。
劇場に掲げられたポスターの文句を借りるなら、みんなその理由は様々ながら、わたしたちはずっと叔父さんに会いたかった。実際に観た映画そのものは、正直お世辞にも褒められたものじゃなかった、でも負け惜しみじゃない、ただ劇場に会いに行けて良かった。考えてみれば初めからそれ以外の選択肢なんてなかったんだ。そうすることでけじめを付けられることだってあるんだって。今のわたしはかつて泉に焦がれるような恋をしていた頃の満男よりも歳をとって、今の満男に比べればまだ若い、時の流れは確かに残酷だけど、わたしにとって初めて劇場で出逢う叔父さんは、当たり前だけどわたしの想い出のまま。
胸躍るような恋もした、引き裂かれるような別れもあった。満男は寅さんに似ていると言われたけども、それは実際、親戚同士が集まった時のお為ごかしに似て、良いも悪いもちっとも似ていやしない。わたしたちがどんなになり切ったって寅さんになれないのと同じように、満男だって寅さんにはなれっこない。でももし寅さんがいなければ満男は絶対に今の満男じゃなかった。だから会いたくってしかたがないんだ。誰か会いたい人がどこかにいる幸せ、それに勝る人生の宝なんてそんなにあるもんじゃない。だから寅さんだって何度も帰ってきて、あの家の敷居を跨いだんだ。
終わりじゃないけど始まりでもない、大人になったけど何も変わらない。変わらないことを無様に認める勇気だけを、最後に駄目押しに。
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