よしおスタンダード

ヴィニルと烏のよしおスタンダードのレビュー・感想・評価

ヴィニルと烏(2017年製作の映画)
2.6
No.2761

「いじめる奴ら」は「カラス」。たいていが複数で、何の理由もなく、あるいは自分たちに都合のよい理由で、

「ヴィニル」をつつく。破れるまでつつく。
飽きたら去る。

で、またやってきては、無抵抗な「ヴィニル」を、集団で、つつく。笑いながらつつく。飽きるまでやる。

全部無力。

いじめる側も無力。

やられる側も無力。

教師も無力。

身内も無力。

この映画で「無力感」を伝えたい、ということであれば成功。

結局「暴力には暴力を」と間違って受け取られたら、失敗。

本作は、僕には後者として受け取れてしまった。
伝えたいことがそうではないことがわかっていても。

でも、横田監督にはいろいろ撮ってほしい。
期待を込めて。
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私も中学時代、やられてました。

クラス全員にシカトされて一人教室の片隅で給食食べてました。

その給食すら、窓から投げ捨てられたことも何度もあります。

教科書や通知表がビリビリに破られるなんて、毎回(笑)。

そういうことが2年続きましたが、誰一人として先生は気づきませんでした。声をかけられたことも一度もありません。他の同級生も全員傍観者でした。

これは事実です。

ちなみに、私は在校中、一度も彼らに反撃しませんでした。

多分、反撃したら、半殺しにしちゃうか、最悪、死に至らしめてしまうかもしれない、というのが自分の性格上、わかっていたからです。

だから、いじめられるたびに、私は心の中で彼らを「半殺し」にして、精神を何とか保っていました。

何の役に立たない教師も同罪です。

「そのくらい、いじめられている側の心は、憎悪や殺意に満ち溢れます」

学校は「教育を受けに行く場、教育を受ける機会を提供する公共機関」です。

いじめをする生徒は、その機会を、いじめられている生徒から奪っているか、著しく制限している可能性が高いわけですから、

学校側は容赦なく、そういう生徒を「隔離するか、排除」しないといけない。

間違ってはいけない。「いじめられている側」を隔離するのではない。

いじめられている側が学校内で暴行を受け、ケガをしたら、容赦なく学校は、いじめた側に治療費等を賠償させなくてはいけない。「親ではなく、本人に」。

「子供だから」は絶対に許されない。
殴ったり蹴ったりしたら、痛いし、出血することは、幼稚園児でもわかるから。

あと、教師も、担当クラスから自殺する生徒が出ても「知らなかった、気づかなかった」とか言うんなら、

もう、そもそもが、教師に向いてないから容赦なく罷免すべき。

「制裁としての罷免」じゃなくて、教師としての資質がないから、そういう教師が学校にいても、迷惑なのよ。マジで。

「いじめられるお前も悪いんだぞ」という教師が、一番資質がない。これは、言語道断で人間の屑。

「貧乏だから」「生意気だから」「臭いから」
理由によってはいじめることが正当化されてしまうのであれば、学校はただの犯罪の温床・予備軍養成所である。

一般社会でそれは許されますか?
成人が、「生意気だったから」という理由で、相手を一方的に暴行して怪我させました。相手は反撃していません。

この場合、相手も生意気だったから殴っちゃってもしょうがないよね、じゃ、不起訴にします、減刑します、って、ならないよねww

それが時にまかり通り、また、まかり通そうとするのが、学校の閉鎖社会、教師の価値観・倫理観。

いかなる理由であれ、「いじめる側が100%、いや1000%悪いので、必ず責任を負わせること」

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