すぎもry

私、オルガ・ヘプナロヴァーのすぎもryのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

タイトルが主人公の名前だから、映画を見ることはそのまま、その主人公を見ることに、また主人公から見られることに、転じて主人公と関係を結ぶことになる。

主人公に対して「そんな勝手な理屈を…」と思った瞬間に、映画と鑑賞者の関係が断絶する。わたしがそう思った瞬間、主人公がスクリーンから逃げてゆく。同情とかそういうものを求められているわけではないけど、ジャッジしようとすれば、向こうからその心を見抜かれるのだと思う。

そんなわたしたちの脆い関係性を維持すべく、作り手は観客と映画、つまり主人公との関係をより純粋にすべく努める。主人公の動作ひとつひとつが全くエコーしない。映画の中の第三者は、主人公の行動に対して決してリアクションをとらない。

この取り組みのおかげで、わたしはとても主人公に集中することができた。
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