木蘭

私、オルガ・ヘプナロヴァーの木蘭のレビュー・感想・評価

2.7
 実在の無差別殺人犯をアート映画で撮ろうとした監督達の稚拙さと、若き女優の才能でトンデモ映画になってしまった一本。

 ミハリナ・オルシャニスカの伝説の主演映画が日本公開される!という事で駆けつけたファンとしては、若くて荒削りな彼女の姿が見れただけで目的は達した。
 アート映画を目指しただけ在って、モノクロの映像はカッコイイし、再現された1970年代のチェコスロバキアの風景もお洒落・・・ 

なのだが、劇映画としての完成度は大いに疑問。
 淡々と描くので、物語としての盛り上がりに欠ける・・・のは好みの問題なのだが、本来描くべき所を描かないのは、結果として大問題なのではないだろうか?


 まず、チェコスロバキア版"無敵の人"という実在の人物の物語なのだが、1968年の「プラハの春」が押しつぶされ、抑圧的な社会主義が復古したこの時代の空気を全く描かないので、物語から社会性が欠如してしまっている。

 しかも劇中では観客のミスリードを誘う様な思わせぶりなシーンを入れたりはするくせに、彼女の直面する困難・・・父親の暴力、厳格で抑圧的な母親、学校や職場でのいじめ、同性愛者である事の生き辛さ、孤独、発達障害・・・どれ一つとして、画面上では描かれない。彼女の手記と語り(と観客の予備知識)にしか登場しないのだ。
 つまり、結果として自殺未遂も含めて、全ては彼女の虚言に見えるのだ。
 この映画自体が、彼女が本を読みふける様に、オルガと観客は共に作り出した妄想の世界にふけっているにすぎず、土壇場でじたばたと話を取り繕おうとするものの、我々を待ち受けているのは首吊りの縄・・・という逃れがたい現実で目が覚める。

 つまり自分の妄想の世界にひたる虚言癖で虚栄心に満ちた女の子と、彼女に苦しめられる家族(お母さん、本当にかわいそう)と周りの人々の話に成ってしまっている。
 映画作家として、この賛否在る困難な向き合うべき問題に何も答えを出していないし、寄り添うべき(感情移入する)個人も、社会性を帯びたテーマも見失っている。

 そもそもミハリナ・オルシャニスカさん、社会に斜に構えて権威にも刃向かうし、決してめげない「だって私、可愛くて才能在るから!」という自我の強い役が似合う女優で、この映画でも、この程度の事で自暴自棄になる様なヤワな女の子には見えないんですよね。
 不良少女を挑発してヤキ入れられているし、ナンパしまくって楽しそうだし。工場を首になるシーン、あれ絶対にオルガに問題がある様にしか見えないんだよなぁ。
 完全なミスキャストだと思うのですよ。
木蘭

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