YAJ

私、オルガ・ヘプナロヴァーのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

【不条理】

 印象的なフライヤと、「チェコスロバキア最後の女性死刑囚」という一文に惹かれて鑑賞。

「ヨーロッパには、死刑がない。西側の先進国ばかりでなく、東欧やバルカン諸国なども」

 春頃に読んだ『死刑のある国で生きる』(宮下洋一著)にあった一節。 欧州評議会(CoE)が主導し、1953年9月に発効された欧州人権条件を根幹に、欧州諸国の極刑廃絶に漕ぎつけた。本作中の死刑執行は1975年のこと。当時は、そのCoEの動きとの軋轢もあったことだろう。
 欧州で死刑は執行されないが、一方、執行される我が日本では、犯人をきちんと裁判にかけられるよう逮捕時に最大限の配慮がなされる。今年5月末に信州中野で警察官含む4人を殺害した立てこもり事件が記憶にも新しいが、犯人は生きたまま逮捕された。
 そのひと月後、フランスでは17才のドライバーが警察官に射殺され、大規模な抗議デモ騒ぎになっている。事実確認も曖昧にあっさりと殺してしまうフランス警察の対応を見るに、法の裁きによる死刑は存在しないが、事実上の死刑は存在するのでは?という議論がある(そんな国に、日本の死刑制度を云々言われたくないものだ。刑の執行の度に在日仏大使館が死刑廃絶のメッセージを送ってよこすのだそうな。その前に自国の現状を省みろ、と)。

 鑑賞前は、そんな彼我の死刑の在り方を巡る考察も出来るかな?と期待したが、死刑囚オルガ・ヘプナロヴァーの、実に個人的な衝動を描いた作品だった。
 なにしろ、そのオルガを演じたミハリナ・オルシャンスカがお見事で、終始、見る側の注意を惹きつけ離さない。嫁さんの言葉を借りれば「無駄に美人」なのだ(笑)。冒頭のまどろむ寝顔から、目が離せないほどのオーラを纏っていた。

 本作は、クレプスキュールフィルムという聞きなれない配給会社が持ってきた作品らしい。最近よく使う近所の映画カフェANGELIKAで鑑賞前に仕入れた情報だ。
 カフェOPENの頃、その配給会社を立ち上げた人がふらりと来店されたという。3本買い付けた中の1本が、この『私、オルガ・ペプナロヴァ』。
「もう、この主役の女性にゾッコンだったそうですよ」
とANGELIKAのTさん談。
 分からんでもない、いや、非常によく分かる。『レオン』の頃のナタリー・ポートマンを彷彿させる蠱惑的な魅力がある。

 気になるのは、その配給会社と、ふらりとお店に来たというその御仁。ネットで検索すればすぐに情報は得られた。
 なるほど、吉祥寺バウスシアターに関わってたお方か。なんなら、ご近所さんなのかもしれない。バウスシアター、配給会社勤務と、長年の映画畑でのキャリアを活かし、2022年4月にワンマンの配給会社を立ち上げた(新卒後は商社務めだったという経歴も気になる・笑)。
 まず買い付けたという3作中、なんと、春に観た『November』も含まれている。エストニアの寓話を基にした異色の作品だ。
 知らずに、クレスプキュール配給の3作品中2作を観たことになる。

 代表のM氏は、「ダメ人間やピカレスク(=悪者、ならず者)が出てくる映画が好き」だそうだ。未見だが、公開1作目だった『WANDA』も拠りどころのない主婦が犯罪の共犯者として逃避行を重ねるロードムービーだとか。要は、ダメ人間。
 『November』はどうだったか?寓話なので、欲にかられた愚かな人間が出てくる。本作の主人公オルガも、社会的にはダメ人間であり、死刑囚となるピカレスクぶりでは、M氏の意中の登場人物であったろうと想像する。

 パンフも買ってみた。小さいながらも画像をふんだんに使った立派なものだった。M氏の惚れこみようが、そこにも現れているようで微笑ましい。いつの日か、ANGELIKAでお会いすることがあれば良いな。



(ネタバレ含む)



 さて前段は、死刑制度の在り方や配給元の裏方話に終始してしまったが、作品としては、無駄を省いたシンプルな、いわば乱暴な作り。オルガの行動の如く、なげやりで暴力的。
 オルガの感情、内面の吐露は少なく、絶えず煙草をふかす仕草、猫背で歩く姿勢のみで表現。セリフも最低限、ときどき挿入されるモノローグは、日記か手紙の文面のようだが、誰に宛てたものか判別がつかない。

 要は、チェコはじめ東欧諸国ではよく知られた事件、人物だったのだろう。なんの罪で死を宣告されたのかも知らず鑑賞したのは、どうだったのか。不穏な画面や、夜のシーンなどは、この後、猟奇的な殺人でも犯すのでは?と絶えずドキドキしながら観れたのは幸いだったが、知っていれば、顛末に至るまでの彼女の半生を、過度な演出を排除し、ドキュメンタリータッチで撮りあげた作品と理解しつつ鑑賞できたのかもしれない。
 とはいえ、モノクロ映像が1970年代の雰囲気とリアリティの醸成に奏功、水平に構えた固定されたフレームも、虚無感乃至、人間関係の、特に家庭内の、それぞれの距離感、無関心ぶりを象徴しているようで巧いな、と感じた。

 そうした家庭環境と疎外感が、オルガの人格形成の背景にあったということだろう。詳しくは描かれないが、医師の母のいる、一般より裕福な家庭のようだ。恵まれた環境で育ちながらも、登校拒否、睡眠薬大量服用などをやらかす問題児のオルガ。そんな娘に母親は、

「自殺には覚悟がいる。お前にはできない」

 と、中途半端な人間だと突き放なす。自殺未遂の直後にかける言葉がそれか?オルガの心が荒んでいくのも分からないでもないが、その後、家を出て一人暮らしを始め、勤め先(運送会社?)の女性と恋仲になったり別れたり、酒場に入り浸る。仕事っぷりも客の前で喫煙したり、ルートを外れて階段を駆け下りと、けっして褒められた勤務態度ではない。
 そして、ある日、トラックに乗って、人混みの中を暴走する犯行に至る。

 以上が、淡々と綴られる。
 結末の犯行を知らなかったが故か、どのシーンが伏線になっているのかも分からず、全てが犯行の背景と言えば背景なのだが、だからといって、オルガの行為に一片の正当性も見出だすことができなかった。

 その後は裁判と刑務所でのシーン、そして刑の執行で幕を閉じる。
 裁判の陳述で分かるが、オルガは、事前にマスコミに犯行予告を送り付けていたらしい。それがモノローグで語られていた「手紙」のようだ。
 世の不条理を訴え、自分のような被害者を今後生み出さないよう、「自殺」ではなく、社会の仕組みが変わるように願って、目立つ「犯行」を行うことにしたという犯行意図には全く同情の余地はない。オルガ自身がアイコニックな存在になりかねないので(「無駄に美人」なだけに・笑)、本作を見て、勘違いする若者がいなければ、と思うところ。
 ただ、社会はオルガのような存在を生み出さない努力は怠ってはいけない、それは教訓であろう。また、こうした事件は、一瞬で起こる恐ろしさ。自分の身に降りかかる時も、なんの前触れもなく、巻き込まれてしまうのかと、それこそ世の不条理を感じた。

 収監中に人間らしさを取り戻したか、刑の執行を待つオルガの姿は、それまでとは異なり、逆に、異様な雰囲気を醸し出す。不条理な社会から隔絶されたことで心の平静を得たのか、あるいは、別の名前を名乗っていたから、別人格でも現れたのか? 気楽なものだ、としか思えないが、それほど外の世界は彼女にとっての苦界でしかなかったということだろう。
 最後に、泣き叫び、刑の執行を逃れようとする姿は、ようやく人間らしくなったのかもしれない。もう少し時代が後であれば・・・。だが、時は待ってはくれない。

 劇伴もほとんどなかった作品。唐突なエンドクレジットも、全くの無音。オルガの魂を送る、葬送の曲もなにもなかった。

 淡々と、オルガの半生を綴った作品。そんな歴史的事件があったことを知れたのは、良かった。
YAJ

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