エジャ丼

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのエジャ丼のレビュー・感想・評価

4.9
「花殺し月の殺人」

20世紀初頭、オクラホマ州。先住民であるオセージ族は、白人に迫害され辿り着いた土地で石油を発掘し莫大な富を築いた。彼らの富を狙うウィリアム・“キング”・ヘイルは、甥のアーネスト・バークハートにオセージ族の女性モリー・カイルに歩み寄ることを唆す。次第に親密になっていく2人だったが、オセージ族の不審な死が起こり始め…。

普段ろくに、いや全く本を読まない自分だが、映画を観終わった時に一冊の本を読破したかのような満足感を抱くことがある(と、他の映画のレビューでも書いた気がする)。そういう映画は大抵尺が長く、ただ凡庸で退屈な長さではなく、内容の濃い、作り込まれた、必然的な長さを持った映画。中でもスコセッシの映画はその印象が非常に強く、映画というエンターテイメントの面白さを改めて実感させてくれる。だからこの映画には、まだ制作段階の頃から期待を膨らませてきた。なんせ、“ディカプリオとデニーロが出るスコセッシの映画”という条件の時点で面白くないわけがないのだから。そんな今年1を争うレベルの個人的大注目映画を、日本最速試写会(しかもあの宇多丸さんのトーク付き!!!)という貴重な機会に恵まれ鑑賞してきた。結論、またもやスコセッシはあの“心地よさ”を感じさせてくれる映画を作ってくれたということをまず述べておきたい!

純粋だが無自覚な悪は、根源的な“欲”を無限に活性化させる。人を欺き、陥れることで得た人生の悦楽に浸り、その感覚から抜け出せなくなった人間が引き起こす暴虐の物語。

力を“手にしてしまった”者、力を“掌握しようとする”者、その間で虚しく、見窄らしくもがく力に“動かされる”者、というこの物語の三本柱。
その三本が卑しく絡み合い拗れ、引き起こされる“花殺し月の殺人“。
その惨劇を通して湧いた、下劣、醜悪、悲惨、最低、絶望、辛酸、貪欲、卑劣を“体現”し“再現”するレオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロ、リリー・グラッドストーンら表現者たち。
登場人物、物語、演技、どれも映画を構成する大きな、絶対に欠かすことのできない要素だが、この3つの全てがどれを取っても素晴らしく、洗練されている。終始目を離すことのできない画面の絵力にも持っていかれた。全体的に音楽は少なめだが、劇中多くの場面で一つのBGMがさりげなく多用されており、流れるたびに自然とスクリーンに吸い寄せられる。

スコセッシが“力に溺れる者たち”を描くと他の追随を許さないと個人的に思うが、今作でもその手腕が遺憾なく発揮されまくっている。216分が本当にあっという間の、最低な人間共の醜態を描いた、しかし最高の映画。原作小説を読んでからもう一度観るとさらに楽しめるそうだ!いざ実践!!