くまちゃん

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

200分は純粋に長い。
マーティン・スコセッシは長尺の作品を定期的に制作する。「最後の誘惑」「カジノ」「ギャング・オブ・ニューヨーク」「アビエイター」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」、そして前作「アイリッシュマン」にてとうとう200分を越えてしまう。我々を3時間以上拘束するに値するドラマは確かにそこにある。しかし気持ちはあっても臀部の痛みと睡魔は自分の意思とは無関係に押し寄せるものだ。もう少し良心的な上映時間にまとめていただくことを希望したい。
そんな今作はスコセッシの盟友ロバート・デ・ニーロとスコセッシの寵愛を受けるレオナルド・ディカプリオが共演している。2人が会話をしているだけで文芸作品のような深みとコクがでる。

アメリカオクラホマ州には血塗られた歴史がある。ほんの100年ほど遡った話だ。先住民族であるオセージは、その土地から石油が発掘されたことで巨万の富を得る。だが当時の常識では先住民族は下等であり白人がそれを保護しコントロールするべきとの見方が強かった。
政府は白人に財務管理を任せる後見人制度を導入した。当時オセージ族は一人当たりの資産が世界一と目されていたにも関わらず、細かな支出にも管理者の許可が必要であった。また、オセージ族で働いているものは少なく彼らの生活はオイルマネーによる均等受益権に寄与していた。受益権は石油で得た利益を均等に受け取ることができる権利だが、これは相続によってのみ他人に移譲する。つまりオセージ族と婚姻関係を結び相手が死亡することで自身がその恩恵を受けることができる。これらの施策は白人の侵略行為に拍車をかけ、オイルマネーの着服に留まらず、殺人事件にまで発展する。
1人、また1人と死んでいく。明らかな異変。異常事態。にも関わらず地元警察は大抵を事故死として処理する。先住民族を守る意識はそもそも持ち合わせていない。20人ほどの死体の山が築かれた所で捜査局が重い腰を上げた。ジョン・エドガー・フーヴァーが組織拡大のために売名目的で捜査官を送り込んだのだ。これがFBIの礎となった。

今作は元々連邦捜査官の視点から描かれていた。スコセッシは2年もの歳月を費やしエリック・ロスとともにシナリオを書いた。だがそれに疑問を呈した者がいた。レオナルド・ディカプリオである。彼はスコセッシに尋ねた。この物語の核心はどこにあるのかと。スコセッシはこれまでオセージ族と食事や話し合いを重ねていた。核心はそこにある。ディカプリオによってそれに気付かされたスコセッシはシナリオを書き直したそうだ。
是正前の状態ではどうしてもサスペンスやミステリー要素が強くなっていたことだろう。観客は謎解きのスリルに心踊らされるがそれではオセージ族に降り掛かった不条理と葛藤を描くには不十分だ。侵略者と同人種である捜査官が英雄になってしまっては今作を制作する意味がない。そのためアーネストの視点に変更され、捜査官役だったディカプリオは本人の希望でアーネストになった。事件を風化させまいとする制作陣、キャスト陣の強い意志は作品を見れば一目瞭然だろう。しかし映画というコンテンツ上仕方がないのかもしれないが、良くも悪くもエンタメ性が強すぎる印象を受けた。もう少し被害者であるモーリーの視点が加わっても良かったのではないか。

モーリーを演じたリリー・グラッドストーンは実際に先住民族の血を引いている。そのルーツの一つであるネズパース族は不公平な条約を結ばされ半ば強制的に保留地へと入れられた。5年後、その保留地内で金が見つかり白人は条約を無視して侵入してきたそうだ。友好的な態度をもって接していたネズパース族だが、やがて金は底をつきそれでも居座る白人たちとの間に静かな軋轢が生まれた。オセージ族と非常に近い歴史をたどるネズパース。今作にリリー・グラッドストーンが出演することには大きな意義がある。理知的で鷹揚な佇まい、そこから発せられる気高い品位、謙虚でありながら誰よりも存在感があるモーリー・カイルはグラッドストーンだからこそ写実的に形成することができたキャラクターである。ディカプリオやデニーロ、ブレンダン・フレイザーなどオスカーアクターに囲まれながらも埋もれることなく確固たる自我が独立しているのは彼女の実力あってこそだ。

アーネストは家族愛とヘイルとの間で葛藤する。証言台に立てばこの苦しみから開放される。連邦捜査局に保護してもらえる。一時は了承するがすぐにアーネストの意思は揺らぐこととなる。ヘイルの弁護士が圧力をかけてきたのだ。集団で脅迫に近いやり方でアーネストを言いくるめる。彼は証言台に立つことを拒んだ。逮捕され収監されたアーネストに届いたのは喘息持ちだった娘の訃報。深い悲しみがアーネストを闇の底へと引きずり下ろす。闇だからこそ一縷の光明が際立って見えるのかもしれない。この後悔と絶望は繰り返したくない。家族を失いたくない。ヘイルの傀儡となり、インスリンに何かの薬物を混ぜてモーリーへ投与したこともあるアーネストはモーリーや子供たちを心底愛していた。あれは気の迷いだ。もう迷うわけにはいかない。過ちを繰り返すわけにはいかないのだ。
アーネストは意を決し証言台に立つ。
ヘイルや自分たちが繰り返してきた悪事を全て白日のもとに晒す。
その中にはモーリーの母や姉妹たちの死に言及するものもあった。目の前の傍聴席にはモーリーの姿が。
姉の殺害を指示したのは誰か、妹はどうか、震える唇で吃りながらも一つ一つ気まずさと申し訳無さの合間を縫うかのようにか細い声で肯定するアーネスト。
その表情は我々観客の心を重く引きずり罪悪感すら与えてしまう。一連の蛮行を傍観している観客に共犯意識を芽生えさせてしまうほどの迫真。
裁判後、モーリーはアーネストに訊ねる。自分に投与したのは本当はなんの薬だったのか。処方された薬はいくら使用しても効き目が感じられず体調は悪化の一途を辿った。アーネストが逮捕された後、病院で適切な治療を受け改善に至る。あの薬がインスリンでないことは明白だった。涙を浮かべながらモーリーの目を見てポツリと答える。あれはインスリンだと。アーネストは家族を愛しながら常に家族を欺き続けてきた。この事実は絶対に知られたくない。自分が妻に毒を盛ったなどと口が裂けても言えない。例え本人が気づいていたとしても。アーネストの言葉を聞いたモーリーには失望の色が滲んでいた。静かに辞去するモーリー。この瞬間、2人の夫婦生活は完全に破綻した。アーネストは全てを失ったのである。

スコセッシはマーベル等のヒーロー映画を度々批判する。だが今作を見ればそれが口だけではないことは明らかだ。
冒頭のパイプを崇め奉り、地面から吹き出したオイルに塗れながら歓喜乱舞する5分程度の場面でオセージ族が如何にして富を得たのか的確に説明している。また作中散りばめられた様々なアイロニーはコミックテイストではない実存的なキャラクターの確立を可能としセリフではない映像で語る演出手腕は称賛に値する。

次回作では是非、2時間に収めていただきたい。そう切に願う。
くまちゃん

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