YohTabata田幡庸

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのYohTabata田幡庸のレビュー・感想・評価

4.0
新旧スコセッシの名主役が改めてスコセッシと組んだ本作、不謹慎を承知で言えば、とても面白かったし、楽しかった。パンチラインの強烈さとその裏にあるおどろおどろしさは横溝正史のそれに近い。しかしこれが現実だと言うのだから尚質が悪い。

スコセッシ監督作品を劇場で観るのはなんだかんだで今回が初めてだ。「サイレンス」で存在を知り、前作「アイリッシュマン」はNetflix作品だった為、劇場には行けていない。彼が生きている内に彼の作品を劇場で観られて良かった。

ロバート・デ・ニーロの、人非人な行為が好々爺だからこそ際立つ。そして彼のパンチラインの強さよ。「以前から呼んでいる様に、私の事はキングと呼びなさい」「前ったら前だ!後ろったら後ろだ!」「何かあった時の為にサインしてくれ。皆しているから。な?」怖さが極限に達すると笑いになってしまうと言うのはよく聞く話だが、本作のデ・ニーロもそれの代表だろう。床屋の上からのカットは一緒に観に行った友人と共に、まんまブライアン・デ・パルマの「ジ・アンタッチャブルズ」だと笑ってしまった。

デ・ニーロもさる事ながら、主人公アーネストを演じたレオナルド・ディカプリオも圧倒的だった。どう見ても、レオ様と言われた「ロミオ+ジュリエット」「タイタニック」のディカプリオに見え無い。「ギルバート・グレイプ」での名演を考えれば演技力の凄い役者だと言うのは納得だが。本作「キラーズ〜」でのディカプリオは「ウルフ・オブ・ウォールストリート」以来の軽薄な馬鹿だ。ここまで口が文字通りへの字に曲がった人が今までいただろうか。ここまで人間の業を背負った男は今までに見た事があるだろうか。最早映画と言うよりは落語の主人公の様だ。思考停止状態でキングの言いなりに動き、真似を試みてはしくじり、妻の親戚殺害の片棒を担ぎ、その良心の呵責に耐え兼ねる。与太郎も良い所だ。
そして最後の妻・モーリーとの対峙。
「私に投与していた物はなんだったの?」
「…インスリン…」
モーリー無言で退席。
アーネスト:俺、何か間違えた事言った?

スコセッシ御大の切れ味の鋭さに驚きを禁じ得無い。宗教が彼の作品作りのテーマのひとつだが、今回はネイティヴ・アメリカン/インディアンの宗教観をも描き、リリー・グラッドストーン演じるアーネストの妻・モーリーをインディアンとキリスト教の橋渡しとして置いた。本作において彼女はキリスト教のモチーフで言えば、明かに聖母マリアだ。

本作を観る上でもうひとつ興味深いのはアメリカ近代史の語り直しだ。本作の題材は、今までにFBI誕生譚として語られて来た歴史があるが、今回はその語りの白人主観な詭弁までを描いている。
ウィリアム・ヘイル等は自分たちの理屈こそ正しいと信じ切り、インディアンを次々に殺害した。そこに後のFBI初代長官にして悪名高いJ Eフーバーは、トム・ホワイト捜査官等を派遣し捜査に当たらせ、それを白人ヒーロー物としての語りで世に知らしめた。
だが本作は、アーネストを中心に置く事で、白人ヒーロー物と言う側面を回避している。
そして最後にスコセッシは、自身の口でその歴史を語り直し、今までの語りを批判すると共に、本作がまた物語であると言う事を述べている。本作と言い「オッペンハイマー」と言い、アメリカと言う国、アメリカ白人の背負っている業や闇を描いた作品が多い印象だが、加害性を認められるのは重要な事だろう。日本もそろそろ加害性を認めるべきだと思う。

最後にもうひとつ本作のパンチラインを。ブレンダン・フレイザーの「Damn boy!」彼が最初に出て来た時、別にファンでもないのに「ブレンダン・フレイザーだ!」と喜んだのは何でだったのだろう。
YohTabata田幡庸

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