上映時間、3時間半。
これは映画館で見ないといけないと思った。半ば強制的に見ないと、一生見ることがないかもしれないと思ったからだ。
正直、ちょっと不安だった。
史実を元にした退屈な映画になっていないか、3時間半も果たして集中力が持つのか。
しかし、その心配は要らなかった。
体感としては、2時間くらいか。一瞬だったとか言う人もいるが、それはさすがに大袈裟。でも、それくらいに引き込まれる映画だったことは確かだろう。
いや、これはすごいもの見た。
どこまで史実と一致しているのか分からないが、こういう風なことは実際あって、こんな人たちがいたんだと末恐ろしい気持ちになりました。
この映画で描かれる事件は、100年前のことであり、もう解明不可能な部分もあると思うけど、だからこそ映画というフィクションで補うには、うってつけの作品だった気がする。
「大きな注目を浴びることのなかった悲劇的な物語を伝えたい」
ーマーティン・スコセッシ
「強欲さや資本主義、異文化の衝突と融合の物語」
ーレオナルド・ディカプリオ
映画は、六十人以上の先住民が殺害された歴史の暗部に迫った、問題作である。
胸クソ度は高い。
総じて高い。
3時間半、ずっと胸がモヤモヤと嫌な感じだった。
それは、僕らが何が起きているのか全てわかっているのに、どうしようない方向に進んでいく人間たちを、ただ眺めることしかできないからに他ならない。
いわゆる「神の視点」をフル活用した映画だ。
物語は観客優位で進んでいく分、この悲劇がどういう仕組みと流れを伴って生まれたのががよくわかる。
こういう風に人は堕ちていくのか。こういう構造で殺人が行わていくのか。そういった最低で最悪な事件の全体像を僕たちは嫌でも把握していく。
神の視点はコメディでよく使われる手法だ。画面内の当事者たちは笑う気も笑わせる気もないけど、画面外にいる自分たちは安全圏から笑うことができるのだ。
だが、この映画は笑うことはできない。
史実だとわかっているので、笑うことにどうしても嫌悪感を抱いてしまう感じでした。
そして、僕は思った。
笑えない神の視点ほど、タチの悪いものはないんだと(褒めてます)。
そしてその裏には「負の歴史をちゃんと見なさい」というマーティンスコセッシからのメッセージを感じる。
徹底的に悪を描いた作品でもある。
でもその悪って、僕たちの中にもあるんだと思う。
この映画で描かれる「人間の欲とその歴史」がそのことを突きつけてくる。
石油で莫大なお金を手にした先住民たち。しかし同時に白人たちも入ってきてしまう。白人たちは土地だけでなく先住民のお金まで管理しようとする。土地を奪い先住民を追い出すだけでなくお金まで奪うのである。
ここまで利己的になれるのは、人間の性なのか、なんなのか・・・。
僕はたまに人間は性悪説と性善説どちらなのか考えたりするが、この白人たちの鬼畜な行為ひいては彼らが世界を征服してきた歴史を見ると、性悪説なのでは、と思ったりする。
いや、価値観の違い、と言う言葉で置き換えることもできるか。
土地はみんなのものと考える先住民は、共存的思考だ。
一方で、土地は所有するものと考える白人は、支配的思考だ。
二つの価値観か同じ土地で混じり合ってしまった。
しかし、共存は難。
先住民の文化が廃れ、価値観が変わっていく。
自分たちの文化がなくなることで、路頭に迷ってしまう先住民の姿は、見ていてとっても胸が痛みました。
そして、この映画の最大の見所は、キャストの演技合戦だろう。
まずはデニーロ。
通称「キング」という、差別や偏見を秘めた地元の有力者を演じている。純粋無垢に先住民を殺していく様は、まさに異様のひとこと。本人も悪事を働いている意識がないんだろうけど、それが余計に恐ろしさを際立たせる。
ある意味自己肯定感が高すぎると言えるだろう。めちゃくちゃ悪いことしてるのに、僕たちは友達だろ、というスタンスは、「無自覚」というものの恐ろしさを思い知った。
この無自覚さは、日常化された人種差別であり、殺人のシステム化の現れでもある。ホロコーストを含めた全ての虐殺システムに言えることかもしれないが、システム化ほど怖いものはないんだよな。
ただ険しい顔をして歩いているデニーロ。
それだけでもうとんでもなく不敵で怖かった。
でも余談だが、デニーロはキングの気持ちが全くわからないから、トランプだと思って演じたらしいです。笑
そしてディカプリオ。
元々、ディカプリオは捜査官役としてオファーがあったらしいが、変更してアーネストという男を演じることにしたらしい。
その選択と心意気のおかげで、こんな大傑作が生まれたんだな、と思う。
ところで、僕はレオナルドディカプリオの大ファンなんだが、その理由の一つにありがちだが、彼の圧倒的な演技力がある。
これまでも「ギルバートグレイプ」「アビエイター」「ブラッドダイヤモンド」「ウルフオブウォールストリート」「レヴェナント」でアカデミーノミネートされ、半端ない演技を我々に見せてくれた。
でも、今作は彼のキャリアの中でも最高の演技の部類に入ると思う。久しぶりに「役者ってすげ〜」って感動しました。
ディカプリオの顔芸よ。笑
かつてないほどに眉間にシワがよっているし、顔色もとっても悪い。アゴもしゃくれて、口元はへの字をキープ。それはまるで泣くのを我慢する子供のようだった。いつものカッコいい顔はどこへやらだった。
その顔面と佇まいから溢れる薄っぺらい感じ。まるで軸がなくて、ブレブレで、めちゃくちゃカッコ悪かった。
そんなしょうもない男の有り様は、嫌悪感でしかないんだが、痛々しくもあるし、悲しくもある。
そして、僕たちの中にも潜んでるんだと思う。
自分の置かれた状況を客観的に把握できずに、ただ時代の空気と環境に流されていく。それは自分の行いが感覚的には間違っていると分かりながらも、それでも誤った方向に行く人間の弱さ。
でも、止められない。
そして、気づけない。
時代の只中にいる人間には、それがおかしい事だとわからない。
『インディアンの命は犬より軽い』
この言葉は全く共感できないが、そういった価値観の人間、時代の空気感が当時はあったという事実。
その常識とシステムが、こういった事件は起こしてしまった。
そしてそのことを、今の時代を生きる我々も知っておく必要があるんだと思う。
自分の認知だけで世界を見ていると、気づいたらのっぺきならない状態、取り返しのつかない状態になってしまうことがあるのだ。
だから、相手の言葉に耳を傾け、自分以外の認知を知り、世界を多角的に見る必要があるんだと思う。
最後に余談だが、ここ最近のスコセッシは「タクシードライバー」の反省を生かした作品が多いらしい。
スコセッシはああいうものをかっこよく描いてしまったことを後悔しており、殺人シーンを映画的快楽にしないようにしているとのこと。
それを聞いて納得。
殺しのシーンがやけに引きであっさりしていたので。
まぁ、そのあっけない殺しは、逆に清々しくも興奮したけど。笑
<キャラの深層心理>
・アーネスト
モリーを愛してるけど、殺す行動もとってる
→矛盾
→自己欺瞞
・モリー
アーネスト怪しいけど言わない、愛してくれてるはず
→矛盾
→自己欺瞞
※お互いの自己欺瞞性があって、かろうじで夫婦を成している