Blue

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのBlueのレビュー・感想・評価

5.0
やはり2023年の映画を語るにスコセッシの映画を見ずにして語る事はできないというべきか。

もう開始10分でその映像のキレの良さでうなってしまった。
冒頭からネイティブアメリカン/オーセジ族の人々がオイルを浴びる/文明を浴びるシーンから
デニーロ/ウィリアムヘイルにデカプリオ/アーネストが出会うまでのシーンだけで、色濃い血が力強く巡る映画はいいものだなと実感してしまう。
音楽も長年タッグ組んでいるロビーロバートソンの的確以上に的確な仕事ぶり。このタッグがあってこそ。
見終わった後は様々な事を思いながらも、やはり映画というものはいいものだなと、充実感に浸りました。個人的にスコセッシ映画の中でも5本の指に入る力作だと思います。
リリーグラッドストーンの演技がとても素晴らしかったし、デカプリオのロクでもないけどどこか愛嬌があるというか、そのさじ加減が本当に素晴らしかった。まぁ当たり前だけどキャスト全員良かったのですが。

見ながら思ったのはU-NEXTで配信されてるサクセッションというドラマの事です。
キラーズオブザフラワームーンがアメリカの生い立ち/権力や経済の構造の始まりを描いた作品ならば、このサクセッションはその権力構造によって没落したアメリカ社会を描いてる作品と感じました。
キラーズオブザフラワームーンではデニーロ演じるウィリアムヘイルなる親玉がいて、それに従うデカプリオ演じるアーネストがいつつ、それにわかっていながら服従するリリーグラッドストーン演じるモーリーカイルがいたと。
サクセッションでもメディア企業を創業して事業拡大のためなら手段はいとわないデニーロのような存在の父親がいて、印象操作しながらちょっと違うけどシーズン1ではデカプリオのような間抜けな子供達に命令し従わせるという、非常にキラーズオブザフラワームーンに似たような権力構造になっています。

サクセッションではある人の葬儀の際に、アメリカの歴史と重ねながらスピーチをする老人がいるのですが、その亡くなった人物とアメリカを重ねるという時点でアメリカの葬儀を執りおこなうような意味合いを持たせて、さらに視聴者もその葬儀に参列してるかのような錯覚におちいるように演出してるところに鳥肌がたちました。

スコセッシは映画でネイティブアメリカンの凄惨な歴史をあぶり出していましたが、このサクセッションを見ていた自分としては、今もまだ地続きに続いているところに暗澹たる気持ちになりました。

銃社会がいかにダメだとわかっていてもウィリアムヘイルのような親玉がいてそれに従うダメなアーネストのような政治家がいる。そして多くの犠牲者が出ているのにも関わらずその事実を飲み込むリリーグラッドストーンのような国民がいる。
男尊女卑の問題も根深い。田舎だからではなく、宗教的観念が強い州では同じ罪でも男性と女性の方が圧倒的に刑期が長く、社会復帰ができない。
神の教えにそむく者は罰を与える。その思想が法律に根強くあって犯罪者を赦す/ゆるすのではなく厳しい罰を与える事が目的化し、他の州よりも刑罰が強い事が誇りだ、というところが実は多いのです。
そういう地域では女性は男よりも下にみられ、原住民は宗教が違う事で蔑視がいまだに根強いです。
罰を与える地域というのは、赦すという概念が薄いから刑務所から出た後も復帰は難しく、日本やヨーロッパのように生活保護や社会福祉が充実していなくて、ここが日本と圧倒的に違うところですが、さらに地方都市や荒んだ田舎に行けば行くだけアメリカは麻薬など蔓延している所が多く、依存していき底が抜けた社会の中で這い上がれない構造があります。
そういう州はアラスカだったり、原住民が強制的に収容された地域であればあるだけ宗教的観念で迫害し、いまだにどうする事もできなくアメリカはその事実を飲み込んでいる。

アメリカは一体何が変わったのか、とキラーズオブザフラワームーンとサクセッションを見て思いました。
第二次世界大戦があってヨーロッパや日本を含めたアジアは戦後の復興/復旧でなるべくザルの網目から人が落ちないように福祉を充実させた上での国の再生が始まりました。

しかしアメリカでは真珠湾攻撃はあってもアメリカ本土は爆撃された事はなく、それは奇跡的で幸いだったが、個人主義と権力志向の高い人間がより多くを支配する社会構造になってしまった、というのは3年ほどアメリカに住んで大きく感じた事の一つでした。

映画の内容とは関係ない話ばかり書いたけど、こういう実情は根深くあります。

2023年はキラーズオブザフラワームーンとサクセッションが象徴的な作品だった、と思います。
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