KnightsofOdessa

ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

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[必要性のない3Dと記憶の行脚] 70~95点

それなりに楽しみにしていたビー・ガンの新作。特に友人に言われた予告編のカラオケシーンがヤバくて心待ちにしていた。途中から一時間も3D長回しがあるのか、メガネを掛けるタイミングはどうすればいいんだろうか、なんて楽しい会話を楽しんだのも束の間、一日前に起こった「幸福城市」事件を繰り返すこととなる。まず、前半は主人公の人生を振り返り、後半は主人公が自分の記憶を辿り直すのだが、前半で導入される記憶はほとんどを口頭で伝えてしまっている。映像で語っていたのは予告編のカラオケシーンだけで、それ以外はモノローグが大半を占める。主人公がメガネを掛けると我々も掛けるという新しい手法に感動しつつ後半に向かえば、前半で導入された文字記憶を映像記憶として語り直すのだ。二度手間じゃん。夢とか記憶とかって離散的なものだから美しいのであって長回しにする理由も拘りも分からない。完全に企画ありきなのでは?

んで、これを指摘するのは野暮なんだろうけど触れずにはいられないのは、3Dである必要がどこにもなかったということ。映画は100年かけて2Dを3Dする魔法を編み出し続けてきた。それを最初から3Dにしてしまうことで定義から破壊するというのは理解できるが、3Dで見ればもとから奥行きがあるからそのまま使っちゃえってのだと定義を破壊しただけで何か新しいものを創造するという段階には至れない。壊すだけなら誰でも一瞬で出来て、最も難しいのはその先にある"創造"である。

次に、私のよく言う"ナボコフ/ゴールズワージー論"であるが、映画や小説において感情表現を再定義することは目障りにしかならない。本作品では"本当に悲しいときはリンゴを種ごと食べる"という再定義が行われ後半で回収されるが、それがあざとすぎて恥ずかしかった。金払って映画見てんのになんで私が恥ずかしくならなきゃならんのか。

ただ、流石に「幸福城市」よりは楽しめた。140分もかけて私が得たものは3Dメガネだけだったようだ。残念。

追記
この映画は上映終了後に始まる映画だと今更ながら気が付いた。映画そのものが記憶に変わった時点で脳内で3D長回しを再現すると離散的に変換される。これが評価を苦しめている。また見よう。
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