イホウジン

惡の華のイホウジンのレビュー・感想・評価

惡の華(2019年製作の映画)
4.0
生の虚無に抗い続けるための妥協

ポスターや予告からただひたすらに悪趣味なビジュアルが続く映画なのかなと想定していたが、蓋を開けてみると、起承転結が複雑に入り組んだ骨太なストーリーと個性の際立つ登場人物たちが輝く良作だった。
原作は未読だが、それでも今作が元のマンガを大きく改変したものであることは分かる。相当セリフや出来事を省いているだろうし、メインの登場人物も明らかにもう少しいる。だとすると、今作が特に原作を読んでる人たちのレビューが総じて低くなるのは致し方ないことにも思える。もはや映画が原作とかけ離れた別物と化してしまったからだ。しかし、私としてはその思い切った独自性が、一本の映画としての完成度を高めているようにうつった。
ストーリーは、よくありがちなキラキラ青春恋愛モノの皮を被った、人間の普遍的な愚かさや空虚さを隠すことなく露呈させるようなものだ。冒頭で指摘した“想定された悪趣味”は、実のところ前半の教室破壊パートで完結してしまう。その後何が繰り広げられるかと言えば、その不可逆的な逸脱で元いた場所に戻れなくなった者たちの、感情のさらけ出し合いだ。悪く言えばグダグダ展開に突入する訳だが、その混沌っぷりが、過度に理想化されがちな「逸脱」の現実を観客に突きつける。今作で指摘されるとおり、現実社会に生きる以上、“向こう側”になんて行けないのだ。つまり、あの中学校パートのラストは、その“向こう側に行く”行為のタブーを打ち破ろうとした行動であると解釈できる。生きることへの幻滅と、それでも逃れられない己の生(性)の狭間に立って、登場人物達は苦しみ続ける。
一転して高校パートでは、そのジレンマに一筋の光が差す。登場人物たちが自らの空虚さや生の苦しみを受け入れ始めるのである。そして興味深いのが、その受容によって登場人物達がある意味「普通の」生活を歩み始めることだ。これは決して過去の混沌を乗り越えたという訳ではなく、むしろ生きながらにして生の運命に抗う術を身に付けたということだろう。映画のラストはそれを象徴するかのようで、まさに「能ある鷹は爪を隠す」ような域に達したとも言える。ある者は確信犯的に恋愛をすることによって、またある者は感情を文章化することによって、生のジレンマに抗い続けるのである。

とはいえ登場人物たちの細かい心情の変化が抜け落ちてるように感じる場面も少なからずあった。マンガ原作の映画でここまでやれば上等なのだろうが、まだまだ高められる余地があったように見える。あと、主人公の男が定期的に叫ぶのがあまりにも単純すぎてあまり好きではなかった。
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