猫とフェレットと暮らす人

ザ・ピーナッツバター・ファルコンの猫とフェレットと暮らす人のネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

この映画を観ることで、そんなはず無いと思っていたのに、やっぱり、私自身がダウン症の方への偏見の持ち主であったことを再確認させてくれた、演出も脚本も秀逸でセンスありまくりの、ほっこりロードムービー(道徳=自分の糧[かて]となる映画)。

ダウン症のザック(ザック・ゴッサーゲン)がおばあちゃんに計画を絵で伝えて、逃走。したかと思いきや、タックルっされて失敗、で陽気な音楽と共に、もう一人の主人公タイラー(シャイア・ラブーフ)の漁のシーンへのカット割り。このテンポ感、大好き。このシーンだけでいい映画始まったって思えた。こういう掴みちゃんと演出してるの好き。

タイラーの兄が亡くなってから漁の免許無くて、いじめみたいにされて、喧嘩しても負けちゃって、その腹いせに放火って。それはアカンけど、脚本として、途中と最後に絡めてくるのすごくよかった。

具体的には、放火した故郷の漁師に追われて、今度は、イカダを燃やされて、もう逃げ場ないかも、って思ったら、ダウン症のザックがショットガン持って追い払うって脚本よかった。ダウン症のザックがショットガン扱えるようになったのも、タイラーが教えてくれたからだし、ショットガンで上手く撃てたから「二人だけ秘密の握手」が完成したわけで、この辺の絡みが気持ちいい。

それに、このタイラーが故郷の漁師に追いかけられているから、最後のプロレス会場で、頭をバールでやられて、生きてるのか?からの、生きてたー!の演出は最後まで気持ちいい。ありがち演出だけど、良かった。

プロレスラーのソルトウォーター・レッドネックが運営する学校がやってなかったのは残念だった、けど、古いオープンカーで音楽ガンガンかけて登場!はうれしかった。

そして、ダウン症のザックにとことん優しいタイラーとの対比として、エレノア(ダコタ・ジョンソン)も施設に戻したりしなくては、とか、ダウン症のザックをケアしなければ…。と責任感があって、ダウン症のザックの事をちゃんと考えてるけど、立場や方法が違うってキャラクターが良かったなぁ。
それが、タイラーに説得され、ザックに車のキーを捨てられて、結局一緒に旅するの、ほっこり。結局3人でフロリダ目指すんかい!

全体的にほっこりできる脚本で、後味よかったなぁ。っと、それにしても、ダウン症のザックと友達になってすんなり一緒に旅をしている、主人公のタイラーって、なんで、ダウン症のザックの事を受け入れたんだっけ?

観終わった私は、あれ?タイラーの事、そんなに描いてなかったよね。兄が亡くなって、喧嘩が弱くて、とかあったけど。それだけで、ダウン症のザックの事をすんなり受け入れる?描いてた?見逃した?あれ?タイラーってどういう人だっけ?
と映画を観終わった余韻の中で、腑に落ちない私がいました。
ダウン症のザックの事を受け入れるバックボーンというか、理由というか、ちゃんと描いてた?見逃した?

と考えてる時に、気づきました。タイラーってそもそもダウン症だからって偏見を持つような人間じゃなかったんだ。描いてないんじゃなくて、描く必要なかったんだ。
そもそも、ダウン症のザックの事を受け入れるのに、それらしい理由いる?タイラーは受け入れるのに理由なんていらんかったんや。

てか、ダウン症のザックの事を受け入れる理由を求めてたのは、映画を観ている私自身だけだった。私が、ダウン症のザックの事を偏見のある見方してる。ケアをするには、友達になるには、タイラーのバックボーンにそれらしい理由が必要じゃないかって思ってしまっていた。

これは、反省しなければならないと、気づかされました。

そして、思い出されるシーン。トウモロコシ畑の中を歩いている時に真上から俯瞰で映す映像から始まる「タイラー聞いて!タイラー聞いて!」のシーン。

ザック「君にも僕の話をしておきたいんだ。俺、実は、生まれつきダウン症なんだよ。」

タイラー「だったら、なんだよ。食いもんは、あんのか?大事なのはそこだ。」

このシーンのこのセリフに集約されてた。タイラーはこの話を聞いたとき、一瞬持っていた銃を強く握りしめる。ほんの一瞬、グッと握って「だったら、なんだよ」と。

タイラーは、そもそも、偏見なんて、持ち合わせていなかった。ただ、ザックと気が合った。そして友達になった。ただそれだけ。

素晴らしいシーンでした。思い出すだけで、胸が熱くなる。

「友達は自分で選べる家族」
私もタイラーのように生きたいと思いました。

「描かないという描き方」という天才的演出をした、監督のタイラー・ニルソンとマイケル・シュワルツはこの映画が長編映画監督デビュー作という。注目しなくてはならない監督を発見。