アラサーちゃん

ザ・ピーナッツバター・ファルコンのアラサーちゃんのレビュー・感想・評価

4.0
どんなに旅を続けても、決してたどり着けない場所がある。

誰しもが通りすぎる、それぞれにある「過去」という場所。

たとえば「過去」に夢を忘れてこようと、罪を置き逃げしてこようと、わたしたちはそれを取りに戻ることはできないし、その場所から再び旅をやり直すこともできない。どうしたって渡りきれない深くて大きな川の向こう岸で、その「過去」が微笑んだり、睨みつけたりしてきても、わたしたちはそれを対岸からぼうっと眺めることしかできないのだ。

「過去」に後悔と罪を残してきた男、タイラー。彼は自由な無法者のように描かれながら、決して逃げ切れないその「過去」に囚われ、縛られ、生きている。
一方で、「過去」の世界に夢と希望を抱くダウン症の青年、ザック。彼は目の前に広がる海よりも広く大きな憧れを、「過去」にみている。しかし、彼はそれが深く長い川の向こう岸にあることを知らない。決してたどり着けない場所にあることを知らずに目を輝かせ、頬にピーナッツバターを塗りたくり、その翼をはばたかせている。

「ピーナッツバター・ファルコン!」

この映画はまるで、そんな「過去」たちから解放させてくれるような映画だ。一種の縛りともいえるそれを、まるでどうってことないちっぽけなことのように、広く大きな海にぷかぷか浮かぶちいさな筏のように、やさしくわたしたちに諭してくれる。

ザックが夢見た世界は、「過去」のなかにあった。しかし、純粋な彼はそれを知らない。だから戻ろうとか、取りに帰るとか、そういう意識がまるでない。彼が世界にたどり着けるように約束していたタイラーは、叶わぬ夢に途方に暮れた。
それでも、世界はザックに味方した。彼のために「過去」から足音を立てて、というより、騒々しいほどのスキール音を立てて近づいてきたのだ。そこでやっと、一緒に旅をしてきたタイラーにも、洗っても拭っても決してその身体から消し去ることのできなかった「過去」の呪縛が、ついに剥がれ落ちたような気がした。

タイラーが夢にみる「過去」は、映画のなかで詳細には描かれない。彼の回想に断片的に浮かんでくるだけだ。それでも彼がその「過去」に呪われて、赦しを乞うていることはよくわかる。図らずも、彼の心の足枷に、赦しを与えたのは盲目のジャスパーであったし、赦しを認めたのはダウン症のザックだった。

「僕の誕生日の願い事はぜんぶ、君にあげるよ」

人間はみな不完全であるが故に愛しい存在であることを、改めて感じさせてくれる映画だったと思う。

ザックがずっと探し求め、いつも飛び出したいと願っていた「EXIT」。しかし、ラストの彼はもう「EXIT」の文字があっても飛び出さない。逃げようとしない。彼はもう狭い檻のなかにはいないのだから。彼が泣き、笑い、歩いている世界は、もう出口の外なのだから。

背丈ほど高いトウモロコシ畑を抜けながら、不満げにザックが言った。「車は?」彼らの旅はひたすらに歩き、筏で浮かんでいたけれど、最後の最後、彼らがちょっとボロい車でその地にたどり着くところがまた遊び心があって面白い。

そういえば、この映画を調べていたら、「ハックルベリー・フィンの冒険」にインスパイアされているとかいないとかいう話に行きついた。それを知って、わたしは名曲「ムーン・リバー」の歌詞をふいに思い出す。


Two drifters, off to see the world
(ふたりの流れ者が 世界をさすらう旅に出る)
There's such a lot of world to see
(目にする景色はたくさんある)
We're after the same rainbow's end,
(ぼくたちは虹の向こうを探し求める)
waitin' 'round the bend
(そしてその先には何かが待っているんだ)
My huckleberry friend, moon river, and me
(さあ行こう、ぼくと一緒に、誰よりも大切なぼくの友達)


タイラーとザック、お尋ね者で流れ者。道なき道を、果てしない海を、彼らはともに笑いながら進んでいく。朝焼けの水平線や暗闇に明るく揺れる炎、魚が躍る水面に、真っ青な空。タイラーと散弾銃を構えたり、エレノアとダンスを踊ったり。出口の向こうの景色では、決して見ることのなかった世界をザックは目の当たりにしていく。そしてたどり着いた先。待っていたもの。彼らが手にしたもの。

とか言いながら、終わってから「ザ・ピーナッツバター・ファルコン」のサウンドトラックより「long hot summer days」エンドレスリピートで聴いているんですけどね…
あと、友情出演かと思うほどパッと出て良いところかっさらい、この映画のすべてをひと言にあらわしたような名ぜりふを何気なく呟いていたブルース・ダーンのかっこよさ。

「友達ってのは〝自分で選べる家族〟だ」

こんなイカしたじいさんが友だちだなんて、ザックってば、なかなかやるなあ。