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特捜部Q カルテ番号64のtanayukiのレビュー・感想・評価

特捜部Q カルテ番号64(2018年製作の映画)
3.3
優生思想丸出しのネオナチの医師クアト・ヴァズは、原作ではヨーロッパで支持率を伸ばす極右政党の党首であり、同じ北欧の「ミレニアム」シリーズもそうだったように、女性差別のマッチョなミソジニーや移民排斥のレイシストというのは、こちらが思っている以上に身近で切実なテーマなんだなというのが印象的だった。そうした闇に切り込んだ原作と比べると、映画はいかにも表面をなぞっただけであり、それだけでもがっかりするところ。原作をつらぬくメッセージがうまく丸められて、当たり障りないものになってしまったというか。

ナゾの失踪事件を追っていたはずの特捜部Qが、女性差別と優生思想の闇を探り当て、ニーデは被害者であると同時に、どうやら加害者でもありそうだ、ということが次第に明らかになっていく原作のストーリーラインがすべてカットされ、いきなりミイラ化した遺体がテーブルを囲む隠し部屋が現れたときは、正直おったまげた。同じ人物が被害者でもあり加害者でもあるというのは、第2作のキミーとも重なり、事態を複雑化させる常套手段なのはわかるんだけど、映画版でも出てくる別の人物になりすますトリックが、原作とはまったく違った使われ方をするので、もはや、全然別の作品になっていると言わざるを得ない。

いや別に、原作を忠実に再現しろと言いたいわけじゃないんだけど、なんだろう、回を重ねるごとに原作から離れていき、カール・マークがどんどん魅力のない男になってしまって、脚本家はなぜ主人公をこんなイヤな男にしたかったのだろうと頭を抱えてしまう。捜査に前のめりになりすぎて同僚を失った心の傷があったから、他人との距離のとりかたを見失ってしまったカールだが、全身不随になったハーディとの関係も映画では初回以外はとりあげられず、妻の横暴も、アサドの薄暗い過去も、ローセの人格障害も全部カットされているので、カールがただの感じ悪い男になってしまったのは残念だった。

原作では、カールは本人が思ってるほど「デキる刑事」ではまったくなく、どちらかというと、次々と持ち上がる問題を先送りするだけの無能な男だし、事件解決はむしろアサドとローセの活躍に負うところが多い。そんなカールをまわりの人間が見捨てずにいるのは、カールがコミュ障であっても、人間的には信頼できる人物だからで、それがこのシリーズの最大の魅力であり、イライラさせられるところでもあるという、微妙なサジ加減がほとんど消えてなくなってしまったことを、原作好きはたぶん、あんまり快く思ってないんじゃないかなあ。

△2023/12/23 U-NEXT鑑賞。スコア3.3
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