このレビューはネタバレを含みます
06/19/2019
自然もカメラの角度も目を見張るほど美しくて、森の中を自転車を漕いで切り抜けていく若くてエネルギーに溢れる姿や葉の深い緑色が溶け込んでいる湖は脳の中で秘密の花園化していた部分を再現されたような気分になる。
特に好きだったのが最初の母とピョトレックが湖で遊んだあと寝転がるシーンで顔のアップが映し出されるシーン。
また大きい湖の方を子供達が列になって走るところ、ピョトレックの手が映されるところ。
森がみずみずしく湖は麗しいのに、いやそうだからこそ、この閉塞感…本当に観ていて自分の心臓を半分塞がれているのではと思うくらいの閉塞感が、この映画にはあった。
この美しく大きな自然+カメラのアングルの完璧さ+閉塞感 は、ハートストーンにもあったな。
わたしはピョトレックの気持ちが嫌なくらいわかったよ…この時期にみたのが救いだったのか救いではないのか…家を出ていかれるたびに落ち着かなくなるあの感じ。嫌いになるあの感じ。
インタビューを読んでいると、1970年代のポーランドでは外国に行ったらいなくなったと同じ(今でも外国に働きにいくことはあるが今は電話があるため)とあった。それを読み、夫が外国で働いているヴィシアの寂しさを想像しようとしたけれど…ヴィシア、みてよ、目の前にピョトレックがいるじゃない、それなのにどうして他を追い求めるの?彼をそれがどれだけ苦しめているかわからないの?ヴィシアだって結局そんなことやってたって幸せじゃないでしょ…としか思えなかった。
これを「大人になるための通過儀礼」と書いているものがいくつかあったけれど私には全くそう思えない。どんな子供もこんな通過儀礼いらない。そう思ってしまうのはわたしがまだ子供だから?でもね、ピョトレックの立場になった人は絶対大人になってもヴィシアのようなことしないと思うんだ。だってそれがどれだけ子供を切り裂いているのかがわかるから。
シーツを引き延ばしながら「約束よ」と言い合うシーンのピョトレック役の子の目線よ…鳥肌が立った。ピョトレック役の子の演技があまりにも素晴らしくて彼の作品をこれからもみていきたいと思った。監督はピョトレック役の子のイメージがはっきりあって何千人とオーディションをしたみたいだけど、完璧な配役だったと思う。
ピョトレックが見ていなかったせいで溺れて死んでしまった男の子が実際はそうではなかったとわかるシーン、ピョトレックが笑顔になると同時に私も少しホッとした。というかそもそも全く想像していなかった展開なのでびっくりした気持ちの方が強かった。
そして結局そのあとすぐにあのおばさんが彼の母のことがわかり、彼の笑顔も消え去るのだが。
あの男の子が「パパに言ってもうひとつつくってもらうから」と言ったとき、それはピョトレックの「父の不在」と対照的なものを表しているのかなと思ったが、このような形で繋がるとはね。この監督ははった伏線をゆっくり語りすぎない形で回収してくれるんだな。
マイカに対してピョトレックがアバズレ!というのは彼がヴィシアに対して言いたかったことを完全に表している。でもそのあとマイカと2人で雨の中また湖に行くシーンがあって安心した。
ともかく、この映画はメラニーロランの「呼吸 友情と破壊」のようなホラー感があった。