舞台は1970年代のポーランド。
無言で線路に立つ少年は、向かってくる列車の汽笛に恐れない。
あっと恐怖で顔が歪む母親を、静かに直視したまま、少年は、死を望んで踏切の向こうに立ち続けるのだった。
そんな衝撃の冒頭から一転、映像は過去に飛び、恋人のように仲睦まじかった母親と息子が関係を映す。
それはどこか歪で、危うい。
綻んだ糸のように破綻することを、我々は簡単に予感してしまう。
さて、ショッキングな冒頭の謎を究明すべく、淡々と物語が進行するという語り口にキェシロフスキの「アマチュア」を思い出したりするのはあまりに安易だろうか。
しかし思案を好まない母親はチェスが嫌いで、真っ白なドレスは、まるで鮮血を浴びたように零れたジュースの赤で染まる。
あらゆるメタファーの読み取りを此方に促すそのやり方は、まさにキェシロフスキのそれであるから彼のファンとしては顔が綻んで仕方ない。
解りやすく、誘導的。
散りばめられた監督からの目配せに気付く度、ふっと親近感を高めてしまう、そんな作家主義的な作品だ。
線路に立ったとき少年は精神的に死に、大人に生まれ変わる。
もう彼は軽蔑と失望を顕に、母親から目をそらすこともないだろう。
惑わす女を信じ、裏切られ、軽蔑する、あまりに純粋で愚か男。
彼女を、罰したときに訪れる契機が映画のクライマックスを、飾る。
まさにスコリモフスキの作品に一貫するミソジニーを主人公のイニシエーションとして提示しているのは、非常に興味深かった。
ポーランド映画好きがしたり顔をするのを許してくれるという意味でも、観賞の楽しい作品だった。