雷電五郎

サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所の雷電五郎のレビュー・感想・評価

3.7
父を亡くしたばかりの青年ユリシーズ。自分の性自認が曖昧なまま、家族や周囲から「らしさ」を求められる息苦しい毎日の中で、唯一自分を曝け出せる「土曜日の教会」だけが彼の心の拠り所になってゆく。LGBTQを題材とした作品です。

ミュージカルシーンが入るので苦手な方はご注意を。

敬虔なキリスト教徒である叔母から、女性の服やハイヒールに心惹かれることを異常だと抑圧されるユリシーズは、学校と自宅にいる時、常に不安げで表情に乏しく、時に苦々しい表情を見せることが多いのですが、様々な理由で土曜日の教会に集うLGBTQの友人達といる際ははにかんだような笑みを見せる内気な青年という素の姿を見せるのが印象的でした。
家庭に居場所がなく、常に自分を偽らなければならない息苦しさがジリジリと伝わるような静かさがまたよかったです。

土曜日の教会に集まった人々は自らの性自認や性指向を家族に理解されず、縁を切った人達ばかりでミュージカルパートの歌詞にあった「正常ではない不完全」と見なされたことでどこか傷を抱えていて、ユリシーズが家を飛び出す後半、彼らの居場所がいかに限定的であり、当たり前のように日常的に存在できないものであるかが描写されるのがまた、世間との認識の壁を感じさせて辛くなりました。
土曜日の教会は彼らが身を寄せ合って作った居場所であって、あって当たり前の場所じゃないんですよね。

でも、何故あって当然の場所ではないのかっていう疑問をマジョリティ側にいる人が抱くことは恐らくないのです。だから、取り残された人々は自身の体を切り売りしてでも生きなければならない。誰もが「自己責任」などを理由に手を差し伸べてくれはしないから。
そういう日常の中で、マジョリティ側にいる人々が享受して当然のものから、彼らは弾き出されている。そして、まだまだ多くのケースに置いて「正常ではない不完全」と見なされ差別を受ける。
これを単に他人事として俯瞰し続ける限り、差別や偏見の溝は決して埋まらないのだと思います。

LGBTQと言っても100%ゲイという訳でなく、ゲイよりのバイであり女装を好むなどなど、細分化されていて当然なんですが、こちらの作品ではユリシーズは正にそのように描かれている気がしました。人の性に対する認識ってヘテロとて細分化されている訳だから、必ずしも一つの指向に属してる訳でもないんですよね。

さすがにラストシーン、母親が理解を示してくれるシーンは普通にセリフでよかったのに…と思いつつ、ダンスバトルの舞台に「自分がなりたい自分」の姿で立ったユリシーズがあまりにも美しくて目を見張るようでした。人の顔色を窺うような視線ではなく、見ている者を挑発するような眼差し、非常に美しく力強かったです。

レイモンドとの恋やエボニー達との会話がとても可愛いというかいじましいというか。あまり汚い言葉を使っていない(ビッ○は頻出してましたが)のも良かったです。良作でした。

ただ、これは個人的な好みなんですけど、ミュージカルパートがなければもっと好きでした。ごめん、ミュージカル苦手なので…
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