くりふ

窓のしずくと動く赤ん坊のくりふのレビュー・感想・評価

窓のしずくと動く赤ん坊(1959年製作の映画)
4.0
【あの柔らかな極みを断片化】

スタン・ブラッケージについても、ぼちぼち投稿して行こうかと思います。

いちばん心に焼き付いているのは、取壊し前のニューヨーク3番街を、走る列車から記録した小美品『The Wonder Ring』だったりしますが、このサイトには、その作品ページがないようです。

一方、いちばん“しゃーわせ”が記録されたのは、本作でしょう。ブラッケージが、奥さんの出産をまんま、ホントにまんま撮ったもの。が、これはモザイクをかけたら、作品は死ぬでしょう。

ブラッケージのような人って、仮に思い込みではあっても、撮ることに意味を見出しちゃったのでしょうね。子供が誕生する瞬間なんて、肉眼で焼き付けるのがベストな筈で、わざわざそこに、カメラを挟む必要なんて、ないからね。

逆に、ひと仕事終えた直後の奥さんに、撮ってもらった自分の顔は、意味があるかもだけど。自分でその瞬間、どんな顔しているかなんてわからないから。

二部構成ですね。陽光射す窓辺の浴槽に、臨月の肢体を浸す奥さんを、ひたすら愛でるショット群。それは時に、崇拝のようにも映ります。そして、実際の出産ドキュメント。胎児が世界へと押し出される様を、そのまま撮っている。

会陰部の充血に…そして何か破裂するんじゃないかとの畏れに、ただただ、緊張します。

これには、どんな感情を醸されるのか、人に依り、千差万別でしょうね。

しかし、肉眼で見るべきでありましょう。

改めて、ここまであからさまに撮っておきながら、編集でこのように、現実の“物語”を断片化させたのは、実は単純に照れがあったんだろうか、なんて思っちゃった(笑)。

個人に起きる当たり前の“出来事”を、このような断片化で、ある“世界”に膨らませて、誰でもその羊水に浸れるように普遍化する…それが狙いなら、成功しているとは思います。

小さなひとつの、やさしい宇宙に放り込まれる感覚にもなりますからね。

被写体との“近い!”距離感は、愛ですよねえ。

で、胎盤へのフツーの視線で一瞬、現実に戻されたりもするのでした。

<2022.9.3記>
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