倫理性という観点からは丁寧に撮られていると思う。無理矢理なにかを引き出す訳でもなく、ただ語るに従い道を辿る。
しかしそれで良いのか?
精神分析医も?
結局、あれだけ力を持っていた脱走の追体験の映像を、何処だかすらよくわからないこぎれいな場所から解説し、言語的な意味に落とし込む。その姿勢は映像の力、語られた言葉の力をを信じていない証左では?
ラストの言葉も、善意は自然と出来るから強いみたいなことを言っていたが、その善悪の基準すら正常に機能してなかったのが戦争であり、その基準も常に歴史的なものであるから難しいのではないか。
考えることを放棄した態度の集積がこの悲劇を産んだのではなかったか?
善意がイデオロギーから自由であるというが、パルチザンだから助けたのではないでしょうか。