しおまめ

機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのしおまめのレビュー・感想・評価

4.0
「閃光のハサウェイ」公開記念としてYouTube上で24時間限定の公開が実施。
かなり昔に観た作品なので話の筋書き等は既に知っていたものの、やはりそこはガンダム。
歳を重ねたあとに観るとまた違う見方になっていた。



改めて観て思うのは、富野監督はSFロボットものよりもSFロボットものを被った人間ドラマをやりたいのだと。
確かに「2001年宇宙の旅」や「宇宙の戦士」といったSFファンでなければわからないような要素をバンバン出してくるが、高畑監督と共にハイジに関わったのもあってか、描きたいのは人間ドラマのほうだということがひしひしと伝わるほど濃密。
(インタビューではよくこの作品を「戦闘シーンが長すぎた」と言っていたりする)
劇中のシャアのような”未成熟な子供のような思考を持つ大人”という複雑な人物設定は、どこか作者である富野監督の破滅的思考と、それに抗う人間の普遍的な倫理観の表れにも見える。
特に終盤の不特定多数の敵味方問わない共鳴シーンは、希望にも見えると同時にそれをその場に居合わせない人々(地球で宇宙を見上げることしかできない普通の人々)に見せている。
それはガンダム作品の永遠の課題である人の革新(ニュータイプ)とその理解を部外者に問うているようにも。
(ガンダムユニコーンではそれを「可能性しか見いだせないが故に人々は飽きた」という結論に至っている)
見方を変えれば、初代ガンダムからZ、ZZと続いてきた「ニュータイプとは何か?」という論争を、ニュータイプではない人々に投げかけて終わるという、まさしく「ガンダムシリーズの終わり」と体現して見せたものと言える。


もうひとつの見方としては、ガンダムシリーズを終わらせたくない不特定多数の大人たち(アニメ業界及び玩具会社等々)が地球に落ちていくアクシズを止めようとするというメタ的にも読み取ることが出来る。
元々ガンダムという作品は富野監督の作品としての方向性の維持と玩具会社などの介入で紆余曲折が多々あった作品でもある。
アムロの台詞「こんなことに付き合う必要はない」というのは、そのまま業界に対して「もうガンダムに縋るな」という意味にも見えるし、心中同然の行為はまさしく自ら生み出した作品で自らの作品を殺すという構図に準えることもできる。
特に今作はアムロとシャアというガンダムにおける代表的なアイコンがいなくなる作品でもあるため、ガンダムが次の時代の作品へとステップアップするための儀式という形になっている。
(実際、後々の富野監督によるガンダム作品は時代設定の大幅な飛躍や共通のキャラクターが登場していない)


こういったぐあいに読み取ろうとすればいくらでも読み取れる不思議な作品であるため、何回でも観れてしまう。
しかしやっぱり特筆すべきは、富野監督の特徴である戦争描写。
めまぐるしくカットが変わり、状況があれよあれよと変わっていく様は、戦闘における混乱を醸し出し「なんかよくわからんが大変なことになってる」というハラハラ感が生まれる。
後の作品でもそれは同じで、富野監督の特徴のひとつ。単純に娯楽映画としても素晴らしいもので、政治劇としても極めて面白い。

流石にサイコフレームなどの描写は唐突すぎな気もしなくはないが、それを上回るエンタメ色は歳を重ねてもやっぱり盛り上がる。
しおまめ

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