ずどこんちょ

Fukushima 50のずどこんちょのレビュー・感想・評価

Fukushima 50(2019年製作の映画)
3.4
福島第一原子力発電所事故の事故発生からの経緯を描いたドキュメンタリー調のドラマです。

気を付けなければならないのは基本的な経緯等は記録に基づき事実と沿っているのでしょうが、それぞれの発言や意図、背景などはいくらかフィクションも混ざっているのだろうということです。
立場が変われば見方も変わる。混乱最中の記録も、それぞれのピースをはめていくことでしか真実は見えてきません。
ストーリーも含めてすべてが真実とは捉えず、あくまであの日、現場に残って未曾有の大惨事を防ぐために戦った人々のお仕事ドラマを見るというスタンスで観るのが丁度良いのだと思います。

本作の主人公は、1号機と2号機の当直長だった佐藤浩市演じる伊崎と、福島第1原発所長だった渡辺謙演じる吉田所長です。
だからどうしても、ドラマパートも主人公の立ち位置も現場目線寄りになってしまいます。
そうやって見てみると、本作において現場の目の上のたんこぶになるのが、東電本店と当時の総理大臣を含め政権です。

現場と上層部、政治家それぞれの目的は原発事故を抑止するという点で同じなはずなのに、それぞれが重視している意図が異なるからすれ違いが生じます。
しかし本来、こういう緊急事態で最も柔軟に臨機応変に動かなければならないのはどう考えても現場です。
責任を取るときに説明したり、体裁を固めたりするために上がとやかく現場の動きと乖離した指示を出すから、事実上、迅速に動きたい現場の足を引っ張ってしまいます。
今この瞬間にもチェルノブイリを凌ぐ大事故が発生するかもしれないという命と国の瀬戸際を守っている現場にとって、その手や足を止めて現場入りする総理に応接するという手間が、どれほどストレスとなったことか。

それと自分たちの事情を傍に置いて、とにかく原発のために昼夜問わず数日間働き続けた彼らの奮闘劇に脱帽です。これについてはドラマ抜きで事実で、本当にこういったプロの方々がいたことだと思います。
寝る間も惜しみ、食事すらまともに取れず、電話連絡もまともに機能していないので家族や恋人の安否すら分からない大震災の直後。
一刻も早く自分たちの家族のもとに帰りたいはずなのに、放射線量がみるみる上がって汚染されていく原発に残りながら、最後の砦となって働き続けます。

現場から離れず現場を守るということは、命を削り合うということも意味する過酷な状況でした。
事故発生後すぐ、現場では若手を優先的に守る動きがありました。若手には未来があるから。ベテランを残し、若手を帰すのです。
放射線という見えない刃に身体を蝕まれ、身体を壊すか、最悪の場合、死に至るかもしれないという危険を背負っているのが、原発という現場の過酷さを痛感させます。
最後まで現場に残っていたベテランたちが、当時のメールを使って家族たちに最後のメッセージを送っている姿はとても胸を苦しめるものがありました。
ベテランと言ったって、中にはまだ子供が小さい父親もいます。辛すぎる役割です。それでも誰かが残らなければならない。それはもはや仕事という枠を超え、原発に携わる者としての償いと責務だったのだと思います。
ただでさえ、そんな前代未聞の高ストレスな状況下なのです。その上、上層部からの現場の意思とかけ離れた指示があると、それがどれだけ現場の所長や職員の頭を悩ませたことでしょう。

ただ、あの周辺の街には今もまだ原発事故の影響が続いています。
先月末、ようやく富岡町においても一部の避難指示が解除されました。しかし、まだ居住はできません。12年以上経ってもまだ原発事故の余波は続いているのです。
確かに2号機が爆発していたら関東一辺を含み、東日本は壊滅的な打撃を受けていたことでしょう。その時の影響を想像すると、日本は亡国の危機に瀕していたと
考えられますし、それを防いだ奇跡は本作におけるエンディングのように達成感に満ちたラストとも取れるでしょう。
しかし実際、多くの人が原発事故によって人生を大きく動かされています。今もまだ故郷を取り戻したいという願いは続いており、決して復興を遂げて終わった話ではありません。
本作のようなドキュメンタリー調のドラマであれば、作品として現在の状況も示してほしかったです。2014年当時の映像に留めるだけでなく、公開時点2020年の今の現状を描き、復興の道を辿りつつも事故の余波はまだ続いていることを明確に示すことも、本作の役目だったのではないだろうかと思います。

それにしても、本作で描かれる吉田所長というキャラクターがすごく良かったです。
実在した人物なのですが、あくまでも現場目線で上層部と戦ってくれる良き上司です。
総理が的外れな喝を入れた際には、モニターに向かってズボンを脱いで尻を向ける始末。さすがに部下の方が肝を冷やしそうな反骨精神なのですが、現場の怒りを代弁してくれるそういった行動に、部下も含めて自分も溜飲が下がりました。
しかし、本人も決してそんな器用な人間ではないのでしょう。たとえ責任を一手に引き受ける覚悟で腹を括ったとは言え、本店から「いい加減言うことを聞きなさい!」と叱られれば、それなりに応えていたようです。
眠れない時間が続くほどに疲弊し、脱力する形で座りこむ吉田所長。板挟みにあう立場であるがゆえに、その苦悩は大きかったと思います。

それでもやはり第一に事故に従事する人々や地元の人々を守らなければなりません。
疲れた顔をしたと思えば、次の瞬間には下請けで働いている業者たちに撤退するよう指示し、お礼とお詫びをして深々と頭を下げる所長。
この人が上にいたから、現場の人間はその場に踏みとどまったのだと思います。

人の上に立つ者は追い詰められた状況にこそ、責任者としての器が図られるものです。
丁度本作の公開当時はコロナが世間を騒がせてすぐの頃で、社会的にも混乱している時期でした。
追い詰められた状況の中で、あの頃のトップの人々は吉田所長のように真正面から向き合い続けていたのでしょうか。