二階堂ふみと稲垣吾郎の2人の熱演を堪能する映画。
手塚監督はキューブリックにオマージュ捧げすぎです 笑
マンガの天才手塚治虫という偉大な父の奇想天外な世界を、
秀才肌なビジュアリストの息子さんが追いかけた。
でも、主演の2人に完全に助けられている映画。
監督としてのオリジナルな味わいがあまり感じられずクリストファー・ドイルの撮影美に寄り掛かっている印象。
だからキューブリック風の(「アイズワイドシャット」の仮面舞踏会や「シャイニング」冒頭の山道ドライブ大空俯瞰ショット)もニヤニヤ観るものの、、
まんまやないか!という呟きがあちらこちらから出そうな感じだ。。
何か突き抜けないのが物足りない。
石橋静河など脇を固めるいい役者も多いのだけど、2人の場面以外は演出も淡泊な印象。
でも主演の2人が素晴らしい。
だからこそ、何か作品として突き抜けて欲しかった。
ちょっと古臭いメロドラマ的なジャズナンバーも2人のベッドシーンの他、よく流れるけれど、ムーディなダサさを感じるのは私だけだろうか。
この作品において二階堂ふみの美しい裸身は見事にばるぼらという象徴としてフィルムにフォルムされている。
それだけでなく彼女の声色も「俺」台詞も違和感がなくシュールな漫画世界の女神(ミューズ)を体現したのはやっぱり凄いと思う。
ただ、この作品で狂気性を孕むのはむしろ二階堂ふみではなく、稲垣吾郎だ。
むしろ、彼女よりも遥かにヤバい見せ場を魅せてくれる。
ああ、元ジャニーズのお方がここまでやってくれるのね。
これはゴローちゃんじゃなくて、誰が出来ようか。
最後なんてもう、、そりゃあなた、、、禁断の、、、これ役者として引き受けるの勇気ありますよ。。
たしかにセリフ回しのぎこちなさや「狂い」の部分の‘生’な感じがもう一歩物足りないのもある。
三池崇史の近年の傑作「十三人の刺客」の狂った殿様役で見せた彼の潜在能力はまだまだこんなものでは無いはずだ。
でも異形の「ばるぼら」の世界観の中で二階堂ふみ×稲垣吾郎の閉ざされた世界を眺めるのも映画体験としては非常に贅沢なものだ。
2人のこれからのフィルモグラフィを楽しみにしよう。