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娘とヒアシンスのENDOのレビュー・感想・評価

娘とヒアシンス(1950年製作の映画)
4.2
彼女の絶望と死。作家夫婦が隣人の自殺の原因を究明していく探偵となる。所謂『市民ケーン』的なインタビューにより隣人ダグマルの人物像が多層的に明らかになっていく。書物・レコードと言った遺物にに故人の残り香。純粋だが重い愛。忘れようとしても忘れられない。最後は許されぬ愛へと導かれ、その真相は夫人のみが知る。信念のため両立できず、許容できないダグマルの美徳。1950年で同性愛を描いたのは珍しいんだろうなぁ。引用されていた詩人Edith Södergran。『残りの人生は沈黙するだろう。だが、おしゃべり屋は騒々しくて、人生を刺激してくる。私は平原の孤立した木になろう。森の木々は死を迎え、嵐に恋い焦がれる。頭からつま先まで血液に乗って黄金の稲妻の音が鳴り響くだろう。私は純粋無垢になり、炎は唇を舐めるようにゆらめく』高尚。冷めていながら情熱的なダグマルの思想がよく現れている。夫人の沈黙となって繋がるのだ。
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