mizuki

オオカミの家のmizukiのネタバレレビュー・内容・結末

オオカミの家(2018年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

アニメーション冒頭で、あまりの本気の美しさに泣きそうになった。ちょっと気分悪くもなった。こっからどうなるんだろうというワクワクと緊張で吐き気した。

異常、と言われるものを異常なものとして描いていない。狭いコミューンを抜け出して、手作りの自由。手作りの空間もとても狭い。手作りの自由がひょんなことから自由として機能しなくなってしまったとき、元いた狭いコミューンの楽さに気づく。縛られていることは自由なんだと。待っていればやることが降ってくる、受動的に生きられるという自由。自由の概念を教えてくれたのは元いたコミューンなのだから、どう足掻いてもその思考からは抜け出せないという…。
選択肢を与えられている自由と、責任を負わなくていい自由は違う。カルトのコミューンは、この後者の自由を目指しているのだと思う。これはこれで自由。『ミッドサマー』と『エヴォリューション』が似てると思う。ディストピアかユートピアかどっちでしょうってやつ。没入感は、このいずれにも似てないけど。すごいよ、体験型だった。

パンフレットの、"「崩壊と再構築」が永遠に続くような映画を作りたかった"という監督の言葉に納得した。人は何度だって間違える、みたいなことだと思うけど、そもそも間違いなんてないだろという雰囲気は作品全体から感じる。ラストには、好き・嫌い、快・不快の感情しかなく、さあ次はどんな悪夢が生まれるかな?という開き直りも感じられる。平和は願っているけど。無知の否定がまた誰かを孤立させ、新たな洗脳・コミューンを産んでいるんだぞ、というアイロニー的なものも感じたり。しょうがないよ、人は知らないものは基本的に受け入れられない。それを、どう能動的に知る努力と受け入れる懐の醸成をしていくかが大事なんでしょうか。


「今いるこことガラッと違う世界なんてない」というトピックに焦点を当ててみるのが好き。旅行先でみたんだけど、旅行すると毎回、どこ行っても新しいところってないんだなあって、自分とマリアを重ねて見れる気がした。移動したくらいじゃ、心が急に晴れたり世界が変わったりはしない。良くも悪くも。この作品ではカルトを取り上げているので、どちらかというと不変であることの良くないところを取り上げているが、それはそれでいいとして。大枠は変わらないけど、不変の内側で目まぐるしく変化しているわけで。生々流転という言葉があるけど、変わっていないように見えて常に中身は入れ替わっている。常に概ね規則的に変化しているから不変、とも言える。
この世の大枠は変えられない、妬み嫉み、ずるさ、卑屈さ、理不尽さ、そういうの全部これからも変わらずずっとあると思う。生理現象だから。いじめと戦争が中々なくならない理由だとも思う。でも、妬むからっていじめをする、意見が通らないからと戦争をする、その必要は全くない。最低な感情を拗らせた結果。でも!最低な感情を忌避する風潮も大嫌い。争いはなくならないけど、平和な争いは存在すると思う。最低な感情を抹消するより、存在を認め折り合いをつけていきたいところ。
mizuki

mizuki