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オオカミの家の洋画のレビュー・感想・評価

オオカミの家(2018年製作の映画)
3.0
男性のナレーションで映画は始まり、以下の情報が述べられる。自分達はチリに拠点を構えるドイツ人コミュニティであること。自然と共に暮らし自給自足を行っていること。周囲の農民とうまくやっていること。最後に、自分達のコミュニティにまつわる悪いイメージを変えたいということ。

ここまで実写である。ストップモーションアニメだと聞いていたので少々肩透かしを食らう。どうやらそのドイツ人コミュニティの作成したイメージ向上ビデオが本作『オオカミの家』ということらしい。しかし事前に見たあらすじでは、コミュニティから逃げ出した少女の話だと書かれていた。イメージを向上させたいコミュニティ側が逃げ出すような少女の話をどうやってプラスに描くのか。

オオカミから逃げた少女はマリアという。マリアは命からがら逃げだし、森の中で偶然見つけた空き家に助けを乞う。何度も呼びかけるが返事はない。いたのは二匹のブタ。怯えているブタにマリアは優しい声をかける。

マリアは家にあった食料を食べ落ち着きを取り戻す。ブタの世話もしてやる。次第に愛着がわき名前を与える。そして人間のような手と足も与える。このあたりから物語が不気味な色を帯びてくる。

やがてブタ達は人間の子どもと変わらぬ見た目へと成長する。マリアは二人の母のように振舞う。言葉も与え、家の外は危ないと教育を施す。

とここで食料が尽きる。二人の子どもは腹が減ったとマリアに訴える。仕方なくマリアは危険な家の外へと出ることを決意するが、外は危ないと教育された子供二人に止められてしまう。その夜、目を覚ましたマリアは自分が縛られていることに気付く。二人が現れ、その両手にはナイフとフォークが握られている。

マリアは叫ぶ。オオカミに目の前の二人を食べてくれと心の中で叫ぶ。すると地面から木が現れ、二人の子どもをあっという間に食らう。マリアは助かる。

……そうして場面が切り替わる。冒頭のナレーションが再度語り始める。マリアのように逃げてはいけない。マリアは現在コミュニティで一生懸命働いている。だからこれを見ているあなたもコミュニティに尽くすように。ナレーションの強い口調で映画は締められる。

この映画ってコミュニティの新入りに見せる映像なの…?
と分からぬ分からぬと言っていても始まらないので早速有識者のレビューを読んで見た。

「マリアと、マリアを監視する──長年の生活でマリアが内面化してしまった──「オオカミ」の視点」(上映拡大が続くチリ発アニメ「オオカミの家」、観客を恐怖させる理由とは)より

オオカミはマリアが長年のコミュニティ生活で内面化した視点。コミュニティなしでは自分は生きていけないという強迫観念。

なるほど。そういうのってあるよね。思い込みってやつ。本当はそんなはずないのに、強く自分の中に居座ってしまって、はたから見たら映画のマリアのように見えるのに、自分では全く気付かないもの。うんうん。まあそれに気付けたなら1800円無駄じゃなかったかなって思える。
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