のーのー

オオカミの家ののーのーのネタバレレビュー・内容・結末

オオカミの家(2018年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

なんかのモチーフがある作品だとは知っていたけど、とりあえずは芸術作品としてのよくわからない凄さに「ほへえ〜」となることを優先して鑑賞することにした。平面と立体を行き来するような騙し絵感と造形の気味悪さに、「ほへえ〜」と思った。
見ていると虐待が背景にありそうなこととか、マリアの妄想の中の出来事なんじゃないかとかうっすら想像できてきて、閉鎖的支配関係の象徴としての「家」という地獄をキャンバスに、文字通りの地獄絵図が描かれている、呪いの入れ子構造のような物語にぐったりした。
自分は本作を観ている間なんとなく、好きなCDや本が散乱してて好きな映画のチラシが無造作に貼ってある、自分の実家の部屋の様子を連想していた。部屋という本来平面×6からなるシンプルな立体空間に、様々な意味のある平面や立体をゴテゴテ配置した結果、「自分の今見ている部屋は何の何なんだ?」とたまに精神に混乱をきたす有様になってきている。なんかそういう「部屋」という概念自体が持つ混沌が極端に表現されているような作品に感じた。
そもそも部屋の壁や床に意味のある物を直接描いたり汚したりするのって、非日常的なおもしろさもあるけど、取り返しのつかない恐ろしさという感覚も強く受ける。特に、『ボーはおそれている』や『毒娘』のように精神状態の危うい少女によるものだと、ただ事じゃない精神的・肉体的危機が後戻りできないところに今まさに到達している、という戦慄を感じる場面になる。それでいくと『オオカミの家』はその、ただ事じゃない精神的・肉体的危機が後戻りできないところに今まさに到達している、がすべての瞬間に起こっている映像といえるので、鑑賞中ずっと気が狂いそうだった。
そして最後の、客観的にはめちゃくちゃおぞましい描写・物語なのに“良い教訓話”みたいに落とすナレーションがさらに恐ろしくて、乾いた笑いが出てしまった。ちょっと体調が悪くなった。
帰ってからパンフを読んで、コロニア・ディグニダやパウル・シェーファーの事を初めて知り、興味が湧いた。世界にはおぞましいことがいっぱいあって怖い。
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