荻昌弘の映画評論

草原の輝きの荻昌弘の映画評論のネタバレレビュー・内容・結末

草原の輝き(1961年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 開巻、ナタリー・ウッドとウォーレン・ビーティの激しいネッキングの大写しからはじまって、この作品は、純潔であろうとした青春の悲劇と、立ち直りを、全篇ぴたっと見すえている。この揺るぎない主題の見通し方は、作者(原脚本ウィリアム・インジ、演出エリア・カザン)のまじめさをそのままに伝えてじつに気持のいい見せものだ。
 若い観客諸君は、ここに描かれるのが切実な、純潔とセックスの矛盾という問題、若い世代と親の世代のミゾという問題であることから、それだけでこの映画を傑作視されるだろう。むろんそれも正しいが、その難しい問題もこれほどひたむきに描ききったからこそ人を打つ、と知ることは更に肝心である。題材だけがいいのではない。
 しかし、インジのもつ、キメのこまかいおちついたひたむきさにくらべて、カザンの一本気な演出は(個々のシーンこそマネ手のない迫力だが)何かこの若い主人公たちが四六時中身体の処理だけを難問としてもだえ苦しんだ、といいたげな印象にとどまったのが残念である。若い人が理想を夢みて悩むモメントは、もう少し複雑に細かくあっていいはずなのだ。それをセックスの側面からだけ強調したようなカザンは、多少、鶏頭を断つに牛刀をふるった大仰さを免れない。
 感心させられるのは、クライマックス、ウィルマが農場にバッドを訪ねて、彼の結婚を知るシーンだ。ウォーレン・ビーティとゾーラ・ランバート、二人の話題新人がじつにここではいいが、この二人の新家庭を見て、毅然と笑顔を保ちながらしかも表情をひきつらせて、引揚げて行くナタリー・ウッドには、それこそ新しい幸福は自分の胸を痛めてはじめて掴めるのだという青春の真実が、みごとな力強さと哀しさでとらえられている。
 幸福は人生に一度しかやってこない、といったアメリカ映画の定石の中で、このような地に足のついた真実を描ききったのが、さすがこの二作家の協力にふさわしい成果である。
『映画ストーリー 11(1)(125)』