本題に入るまでの地道な時間は今野が日浅に費やした我慢の其れだったんじゃないだろうか。
互いに笑顔のまま後退りながら、気付けば世界の裏側で背中合わせ。
背後に感じる質感こそ最大の存在感。
影を見たくても光源が定まらない故に目の前に広がるのは暗闇ばかり。
暗中胡坐の二人に必要だったのは判明よりも互いに対する興味の持続だった。
なまじ本性を知ろうとして距離感が測れなくなった。
推しても引いても駄目ならば、いっそ泰然自若と其処にいてみよう。
得ようとして得たモノ、目を逸らしたからこそ見えて来たモノ、何もしていないのに気付けば有していたモノ。
はてさて“分かった”とはいったいどういう事なんだろうか。