シズヲ

ブラインドスポッティングのシズヲのレビュー・感想・評価

ブラインドスポッティング(2018年製作の映画)
4.0
「“ああ、ニガー”と言えよ」

“黒人と白人の友情”に投影される視点の揺らぎ。格差と人種によって変化していく街、そして“ルビンの壺”のような心理学的盲点を孕み続ける銃社会アメリカの縮図。撃たれる黒人と撃つ白人、捕まる黒人と捕まらない白人、パトカーを恐れる黒人とパトカーを恐れない白人。『ある戦慄』で何の躊躇いもなく黒人を取り押さえた警察官の魂は今もなおアメリカの社会に根付いている。実際に親友同士である主演二人が脚本を書いているのが何だか面白い。

「白人警官による黒人射殺の瞬間を目の当たりにしたことで黒人のコリンと白人のマイルズの友情が試される」という粗筋ながら、中盤までは大した事件もなく主役二人の軽い日常で話が回っていく。題材に対するこのへんのポップさはスパイク・リーの匂いを感じる。かつてはブラックパンサー党が結成され、現在では人種の坩堝にして犯罪都市と化しているオークランドの気風もまた垣間見える。主役二人が引越屋として“街の変化”の一端を担っているのが象徴的。あとマイルズの無鉄砲ぶりは序盤から只管ハラハラさせられるけど、それさえもコリンとの認識の差であったことが最終的に分かる。

そうして紡がれる日常の中で“認識の錯誤”が浮き彫りになっていき、やがて親友二人の“人種による断絶”を突きつけるような過去の事件が明かされる。「撃たれるのはどっちだと思う?」という言葉の重み。法廷に立つ悪夢や墓場に佇む黒人達の幻影などのホラー的演出がコリンの不安と恐怖を端的に示す。ただパトカーが横切るだけで焦燥が走り、子供ですら「撃たないで!」という警官に対する命乞いの言葉を覚える。何気なく生きていたとしても、白人と友情を結んだとしても、黒人にとって米国社会(それらを守護する法執行機関)とは治安次第で“暴力装置”も同然になることが顕著に伝わってくる。射殺事件を皮切りにコリンが自己のアイデンティティーを試されたように、街の変化によってマイルズもまた自己のアイデンティティーを見失いかけていたのが印象的。映画のテーマが訴えかける通り、視点は決して一つではない。

件の人物と対峙する終盤の緊張感が兎に角秀逸。あの社会で“黒人であること”の苦痛と葛藤、そしてアイデンティティー。その全てをラップに乗せて“張本人”に叩き付ける悲哀と高揚感。『ドゥ・ザ・ライト・シング』の魂と完全に共鳴した瞬間である。この解放を経た上でも最後は友情によって二人が結び付くので、ホッとするような清々しさがある。
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