ドント

接吻のドントのレビュー・感想・評価

接吻(2006年製作の映画)
4.1
 2006年。ワ、ワァ……。ハンマーを使った一家皆殺し事件、その犯人の男に強烈なシンパシーを抱いた幸薄い女性が、弁護士の助けを借りつつ彼に近づき、寄り添おうとしていく。「私たち、同じ種類の人間ですね」と……。
 冒頭、無職っぽい服装と動き(実際無職)の豊川悦司が、尻のポケットからハンマーの柄を突き出してダルそうに道の階段を上がっていく。空はどんよりとした曇り空。住宅街、目についた家の外門を無造作に開けて、玄関に手を……。もはやここまでで「ワァ……」となってしまう。凶行シーンはないのだけど、「見えない凶行」が家の中で発生するのを幻視させられる。『悪魔のいけにえ』を煮詰めてアップデートしたようなシーンもある。川原のシーンもすごく、とにかく物凄い。
 で、「ワァ……」はここで終わらない。小池栄子がテレビを観て、男に魂のレベルで惹きつけられる場面から映画は、肉厚のボンネットの中でエンジンがふかされるようにその時を待つ。外からは微かな振動しか感じ取れない。「この人は私と同じだ。同じ種類の人間なんだ」と共感を寄せ続け、一種の救いを見い出す女。普段は無表情な彼女の中でエンジンの唸りが、時に表情となって顔を出す。その顔、横顔、瞳、唇。ちと硬い時もあるが、小池栄子のこの存在感たるや……
 しかし殺人者の男にとっては、確かに孤独で損な役回りの人生でヤケクソになったわけだが、「わかる……わかるよ!」という人間(しかも小池栄子)が現れてしまったのなら当然、そういう人生ではなくなってしまうわけである。不幸でなくなることで、罪悪感や葛藤など、別の不幸が押し寄せてくる。このへんの恐ろしさが豊川悦司の顔面の「無」から「有」への変化によって遺憾なく描かれている(これは照明も大変にいい仕事をしている)。ふたりに対してあくまで通常営業演技な仲村トオルもいい。
 邦画にありがちな感情をあらわに叫ぶようなシーンは一ヶ所きり。そしてそここそがずっと唸っていたエンジンが起動する「その時」なわけだが、元の方向とは別ながらもあまりにも必然、起きるべくして起きることであるからして、我々はただ「ワ、ワァ……」と圧倒されて見るほかないのである。地味なお話と展開だし、突飛なカメラワークはほぼないのだけれど終始惹き付けられる。黒沢清の雰囲気に人の心のドラマをかけあわせたような素晴らしい作品だった。これ、だいたいが曇り空なんですよ。曇り空の映画って、概していい映画なんです。
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