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HOMIE KEI チカーノになった日本人のkuuのレビュー・感想・評価

3.0
『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』
映倫区分 G
製作年 2019年。上映時間 73分。
日本人でありながらメキシコのギャングの世界に足を踏み入れるなど、その壮絶な半生がノンフィクションとして出版され、マンガ化もされたKEIを追ったドキュメンタリー。

親からの教育も学校教育もロクに受けることもなく、子どもの頃から新宿歌舞伎町でケンカに明け暮れていたKEI。
ヤクザの世界に足を踏み入れたKEIはFBIのおとり捜査によって捕まり、アメリカの刑務所へと送り込まれる。
抗争や殺人が絶えない最悪の刑務所内で、KEIはいつしかチカーノと呼ばれるギャンググループと通じ合うようになる。
メキシコ人でないと受け入れられることのないチカーノギャングの世界で、仲間として、家族として受け入れられたKEIは、彼らと強い絆で結ばれたまま出所し、日本へ帰国する。
帰国後、KEIは母親と自らの家族愛を取り戻し、さらに引きこもりなど問題を抱える少年少女を救済する団体を立ち上げる。
本作はKEIの7年間を追い、KEIの波乱に満ちた生き様から、仲間、家族、人のつながりを問いかけていく。。。

原作KEI、漫画作マサシのマンガ『チカーノKEI~米国極悪刑務所を生き抜いた日本人』てのを、日本の刑事施設に収監されてる先輩に頼まれ、取り敢えず10巻まで買い送ることに。
その前にセコい根性から興味もなかったけど、一応読み始めた。
意外にも嵌まってしまい、その流れで、今作品のドキュメンタリー作品も視聴。

今作品は賛否両論、
武勇伝をまとめてそして変わりましたよ~
今は社会に奉仕してます~ぅ。
みたいな偽善ととれるかもしれないけど(前半は確かにそんな描写ばかりですが、武勇伝アレルギーの方も後半まで是非我慢してほしいかなぁ)、彼のような物語を知る作品は無いよりはあった方がいい。

今作品を最後まで観て、ふと小生、浄土真宗門徒ではないが歎異抄の有名な名文を思い出した。

※今作品は全く仏教とは関係ないですので悪しからず🙇。

善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
しかるを世の人つねにいわく、『悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや』。
この条、一旦そのいわれあるに似たれども、本願他力の意趣に背けり。
そのゆえは、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力の心をひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を遂ぐるなり。
煩悩具足の我らはいずれの行にても生死を離るることあるべからざるを憐れみたまいて願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。
よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、と仰せ候いき。
              歎異抄より抜粋

愚かなkuu現代訳ですが、
善人でさえ救われるんやし、悪人はなおさら救われる。
ところが、世間の人は常に『悪人でさえ救われるんやし、善人はなおさら救われる』と云っとる(そう思ってやりたい放題)。
これは一見それらしく聞こえるけど、阿彌陀さんが願った趣旨に反する。
なぜなら、自分の力で後生の一大事の解決をしようとしている間は、他力をたのむことができないし、阿彌陀さん約束の対象にはならない。
しかし、自力をすてて他力に帰すりゃ、真実の浄土へ往くことができる。
欲や怒りや愚痴とか腐れた煩悩でできとる我々は、どうやっても迷いを離れることができひん。せやし、阿彌陀さんが願った狙いってのは、悪人さえ成仏するって願いやし、阿弥陀さんのお力によって、自惚れをはぎとられ、醜い自己を100%照らし抜かれた人こそが、この世から永遠の幸福に生き、死んで極楽へ往くことができる。
それで、善人でさえ助かるんやし、まして悪人はなおさら助かると。

バチアタリかもしれないが、阿彌陀さんやら、浄土などあるか無いかはわからないが、欲や怒りや愚痴とか腐れた煩悩でできているからこそ人間は真理。
せや、その『阿彌陀さん』の部分を自分の『善き信念や理念』(しょっちゅう揺れ動くやろけど)を換えて読み、その時、その時に照らして修正し歩んだら、まぁ幸ある生き方(たしかに、自己慢でしかないかも知れへんけど)できるような気がする。
これは、多くの宗教や哲学でも言葉は違えど同じようなこと述べてるし、正しく生きようとしとる人たちの積み重ねた考え、強ち間違いじゃないと思う。
思いたい。
確かに反社な人たちが一般市民を巻き込んでトラブルを起こすことは多々あると思うし怖い。
しかし、一見無害に見える人たちが、人の頚を切り頭を持ち逃げしたり、自分が死にたいから他人を殺すこともある。
結局、何が正義で何が悪かなんて誰にもわからないのは確か。
このドキュメンタリーは賛美やなく、反省としてみれば因果応報、勧善懲悪的な何らかの見返りがあるんは見えてくる。
武勇伝全開ですが笑。
誰にでも闇はあるし、KEIって人はそれを反社っていう形で生きて、その罰を受けた。
犯罪行為を増長させるつもりやないけど、そんな深い闇の中で芽生えた友情や信頼、人間的な感情はあるのは確か。
小生、個人的には意外にもそないなドツボともとれる生活の中での親交は意外にも確固たるモンが少なないんちゃうかと考えてる。
そこに今作品は焦点を当てたいんやと感じた。
勿論、学生時代、同じ目的で励みあった中でも、会社の同僚たちの間にも深い親交が生まれるのも確か。
どちらの親交にも軽い重いもあるし、そして、今後、その親交は何が起こるかもわからない。
それは、彼自身は少しは知っているんかなぁと。
人の姿や形に惑わされない信念は中々もてない。

今作品で残念のとこは、70分という尺では説明しきれない部分があり、もう少し突っ込んだ話があれば面白味は増したんじゃないかなぁ。
インタビューをしてほしかった部分もある。
漫画作品などにある武勇伝は誇張は多々あるやろけど面白い話はあった。
でもまぁ、腐れた家庭環境で育った男が、両親からの愛情不足でイカれた人生を歩んできたようで、紆余曲折を経て、血のつながりのないチカーノたちとの交流の中で絆を築いていく。
アウトローな人たちは友との信頼関係を深く築き、家族のようなコミュニティを作る人が多い印象がもてたかな。 
最近は烏合の衆が多いけど。
KEIには、出所後、わざわざ日本から昔の仲間を訪ねて関係を深めている。
KEIの人生が特別なんかも知れへんし、銭の匂い、旨味の匂いがすんのかも知れへんが。
また、帰国後も生みの親が亡くなったことをあまり悔やんでいない。
チカーノたちとのつながりのほうが、KEIにとっては本質的なことなんやろと。
普通はできないやろけど、自分も親の死に目に会えなかったのは負い目はあっても深くは悔いてないし、何となく理解はできる。
彼は、現在、少年少女のための慈善活動のようなことをしている。
彼は今の活動で過去の罪や傷ついた気持ちを償おうとはおそらく思っていない。
もし銭の為にやっとんのなら、天国、地獄の概念は信じてはいないが、彼は、間違いなく地獄に落ちなきゃ不条理かな。
真にやっとるんなら
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
往生の道を歩めんのやろなぁと。
過去の罪を帳消しにすることはできない。
それでも、偽善と云われたとて、彼は現在において、目に見えて少しでも良いことをしようとしているのは確か。
彼自身が、一般の生活において生き残るために必要なことなんかな。
それが、裏社会から表社会へ出ることができた彼の生き方のように思える。
悪行した野郎の善行をただ褒め称える映画として見たらちゃんちゃらおかしいが、彼が経験した事実を、ただただ述べる映画の中に何かを得ることができたなら、有益な作品に少しはなると思います。
小生は少なくとも後者で、今獄中にいる、また、今ドツボの渦中にいる先輩や幼馴染みも、正しい信念、理念の元、歩んでほしいと切に願ったかな。

貧交行 <杜甫>
手を翻せば雲と作り 手を覆せば雨
紛紛たる軽薄 何ぞ数うるを須いん
君見ずや管鮑 貧時の交わり
此の道今人棄てて 土の如し

貧交行 <杜甫>
手のひらを上に向ければ雲となり、下に向ければ雨となるように、
くるくると変わる人情の軽薄さは問題にするまでもない。
よく見たまえ、あの管仲と鮑叔の貧しい時の交わりを。
あれが本当の友人というもので、今の人はこの交わりを土くれのように捨ててしまっている。
kuu

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