ーcoyolyー

ジョジョ・ラビットのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

ジョジョ・ラビット(2019年製作の映画)
4.0
ボウイの『'Heroes'』が流れた瞬間にあの夏を思い出して情緒が追いつかなかった。仕事しながらQueen+Adam Lambertの米大陸横断ツアーのlive streaming実況していたあの夏。客出しSEがあからさまにボウイ大好きロジャー・テイラー(my推し)の推しごととして選曲されたであろう『'Heroes'』で。推しの推しについては調べるじゃないですか、だからこの曲の背景は一応押さえているのでこうきたか、とその夏感じていたものよりダイレクトにそれがバーン!とエンドロールにドヤ!と大ネタとしてやってきて。この辺の話はまた別の場所で仕切り直したいKissinger800パイセンあたりと!『ボヘミアン・ラプソディ』のブライアン ・メイによる歴史修正主義の功罪とかそういうのをたっぷり!なのでこちら読まれましたらコメント欄にでもご連絡下さい、よろしくお願い申し上げます。

以上業務連絡でした(パイセンいつもいいね!ありがとうございます)。

本題に入りますと、『ジョジョ・ラビット』って今日マチ子『アノネ、』と通じるところがあって、ナチスネタ使ってサイモン・ウィーゼンタールセンターに目をつけられない程度の寓話的世界観で普遍的な人間の愚かさ浅薄さを見せつけてくるんですけど、ナチスって絶対悪の記号として便利に使われすぎて、これよろしくない傾向なのではないかと思います。プーチンがユダヤ系大統領の国であるウクライナ侵攻時にナチスを言い訳に使って全世界から失笑を買いましたけども、この時に我々はナチスを絶対悪として利用しすぎた、という指摘が出て私もそれで初めて気付いた。現存しない組織であったり遺族や後継者がいないから死人に口なしでナチスとかユダって絶対悪の記号として安易に使われすぎる。私常々SNSでの正義感の暴走による誹謗中傷リンチってキリスト教徒のユダに対する扱いと重なって見えてまずキリスト教信者がユダに対する態度を改めないとこういう言動は収まらないのでは?と思っているのですが、これは完全に死者に鞭打つ行為だ。よろしくない。ハンナ・アーレントが指摘した「悪の陳腐さ」そのものだ。皆それを都合良く忘れて今もなおナチスを便利に使い過ぎている。それは思考停止だ。思考停止の安楽の上に胡座をかいている。悪いのはナチスではなくて人間の弱さなので、そこ履き違えてはならないのですよね。この物語はナチスを使わなくても成立するものなので、そこで安易にナチスを利用するという誘惑に抗って欲しかったなとは思いました。これ2022年秋の視点だから公開当時から去年までの間に観てたら全然違ったんだろうけど、観たのは今日ついさっきなのでこういうところはしっかりとアップデートして指摘していきたいですね。
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