アマプラ。23-162。ようやくキャッチアップ。ネタバレします。
最後のあの曲は反則。来るかもしれないと思ったら来た。しかもドイツ語ヴァージョン。絶対反則。ローマン・グリフィン・デイヴィスくんとトーマシン・マッケンジーの切り返しショットも反則。しかもローマンくんがユビパチでフリップ翁のギターだろ。反則だよ。
原作がある。ニュージーランドの作家クリスティン・ルーネンズ(1964)の『Caging Skies 』(2008)。どういう意味なんだろう。「空を鳥籠に入れること」という感じなのだろうな。鳥は鳥籠に入れることができるけれど、空は無理だ。ちょうど人をカゴに入れても、想像力はカゴを自由に出入りできるように。
自由なのに、みずからが憎しみの檻のなかに入ってしまったジョジョこと少年ヨハネス。自由を奪われているけれど、自由であろうとする少女エルサ。ふたりの閉じ込める戦争。ふたりを閉じ込める人種差別。そうしたさまざまな檻のなかに、人々の自由を閉じ込めることができるのか。できないのか。その問いは、人は人を憎しみ抜くことができるか否か、という問いに通じる。
そんな原作を、みごとな娯楽映画に落としこんだのがタイカ・ワイティティ(1974)。ワイティティもまたニュージーランドの人だが、みずからを「ポリネシア系ユダヤ人」という。ユダヤといっても積極的に信仰してはいないという。その彼がヒトラーを演じる。脚色し、監督もこなしている。それがうまく行っている。
コメディアン出身の人はこういうことをやる人が多いのかも。イタリアだとケッコ・ザローネとかロベルト・ベニーニとか思い浮かぶ。けれどワイティティに関しては、ハリウッドの大作映画も託されている。こういうことが起こるのは、英語圏だというのが大きいのかも。
そうだとしても、才能がどんどん世界に羽ばたいてゆけば良い。想像力が飛ぶのは空だ。その空をカゴに入れることはできない。それなのに、どうしてカゴに入れようとするのか。
そんな問いかけの最後に、晴れ渡る空のもと、ドイツ語の『ヒーロー』でゆっくり、やがて激しく、踊り出す小さなキングと小さなクイーン。
ここで落涙。いやほんと。もっともっと小さなキングとクイーンが踊り出してくれよ。あそこで、あそこで、そしてあそこでも、全ての空のもとで。