イホウジン

ジョジョ・ラビットのイホウジンのレビュー・感想・評価

ジョジョ・ラビット(2019年製作の映画)
4.1
【途中ラストに関するネタバレあり】
これは21世紀版「チャップリンの独裁者」だ!

この映画をジャンル分けするとすれば、コメディ映画というよりは喜劇映画の中に分類した方が良いだろう。確かに全編を通してギャグ要素は満載だしいささかファンタジックな世界観である。しかし、そこはやはり戦争(しかもナチスドイツの)映画。戦争それ自体の描写は本当に胸が痛むし、中盤は笑いなど程遠いシリアスな展開にもなる。それでもなぜこの映画には笑いや多幸感が生じるのかと考えると、それはこの映画が喜劇であり、しかも参照はチャップリンの「独裁者」であるという結論に私は行き着いた。
この映画は「独裁者」を意識していて、しかもただのリスペクトではなくそこからさらに発展させたメッセージ性を帯びているような感じがした。「独裁者」におけるどこか間抜けな総統のキャラクターはそのまま今作にも活用されている。しかも今作ではジョジョの空想上の友達として登場することで、その寓話性がさらに強化されているように思える。
しかし「独裁者」と今作において大きく異なるのは“ホロコーストを映画内で意識しているか否か”という問題である。「独裁者」は第二次世界大戦初期の映画ということもあり、それがもはや不可能なのは当然だ。その限界を踏まえつつ、そのアップデートに挑んだのが今作の試みと言えよう。
今作においても全体的なファニーな世界観とは裏腹に、その内実は非常に厳しいものである。特に主人公ジョジョについては、もはやヒトラーをも越える悪魔のような見方も出来ないことはない。心の中にヒトラーを“飼っている”し、秘密警察でも見抜けない容姿でのユダヤ人の識別ができるというスペックを持っていて、もしこの映画の世界線では無かったなら「第二のヒトラー」になってもおかしくない人物である。そしてこの世界線の連想と近年の排他的なナショナリズムの高まりやネオナチの登場が繋がったとき、今作の物語が決して“過去の寓話”ではないことに気付かされる。
そして「独裁者」でも今作でも共通のテーマとして取り上げられたのが“芸術を楽しむことの尊さ”である。前者においてはチャップリンの通常営業的な動作が結果的にラストのスピーチに繋がるし、今作においてはそのスピーチの内容の実践ともとれる展開が数多く見受けられる。心の豊かさと芸術の相関関係に対する両作への意気込みが伺える。
ところで、「独裁者」には幻のエンディングがあるという話を思い出した。それは、「ユダヤ人とナチス(を思わせる)人たちが共に踊る」というものである。これは今作のエンディングのまさにそれであるが、もしかしたらこの演出が監督のチャップリンへの最大のリスペクトだったのかもしれない。

100分程度の短い映画の割にはとても出来事が多かったように思える。満足度は高いが、それらを繋ぐ要素が少なかったせいでやや支離滅裂な感じがあったのも事実である。時系列もけっこう長めにとっているようだった(1943~45年?)が、それもあまり効果を成していなかったように思える。
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