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ジョジョ・ラビットのQTakaのレビュー・感想・評価

ジョジョ・ラビット(2019年製作の映画)
4.5
その時、そこに、誰が、どのように生きていたのか。
歴史に正直に、真正面から取り組むと、一人ひとりが生き生きと浮かび上がってくる。
少年の目から見た、狂気の時代を描いた傑作。
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ジョジョは、ナチス時代のドイツの子。
冒頭の、ヒトラーユーゲントへ参加する高揚感の現れは、その頃の子供たちをよく表しているのだろう。
それが、彼らの日常であり、夢だったのだろうから。
そのことを象徴的に印象づけるのが、飛び跳ねるようにして家を飛び出していくジョジョのBGM”抱きしめたい”のドイツ語バージョン。
この曲が流れるシーンで、この映画の本気度がわかった。
この映画は、ナチスの子供の目線でその時代を見ていくのだと。
”抱きしめたい”のあのイントロから始まるリズムは、子供たちの高揚感をそのまま示している。
ヒトラーユーゲントへの参加こそが、夢であり、自己実現であるということへの高揚感だ。
そして、子供たちは、ナチスによる教育を受け、親よりもヒトラーを信じ、様々な悲劇を生むことになっていった。
これこそが、ナチスによる国民支配の実態だ。
大人よりも子供を支配するという卑劣な実態をここに見ることができる。
その悲劇の一端は、この映画でも母親との対立に見ることができる。
優しくて強い子に育って欲しいという親の心とは裏腹に、ナチスへ傾倒していく子供をどうしたら取り戻せるのか。
そこに母親の苦悩が見て取れる。
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ジョジョの母親”ロージー”がカッコいい〜。
戦時下の、物が無い時に、あのファッション、貫く生活スタイル。
そこには、絶対何かあると思うと、やはりそういう展開に。
レジスタンス活動と、ユダヤ人の保護。
それは、実際に言い伝えられている数々の市民活動を反映している。
ロージーの姿は、今日に至るまで、ドイツ人がドイツ人として求める、あるいは理想としたい国民像なのかもしれない。
その誰にも負けない意志の強さを持った女性像を表すのに、スカーレット・ヨハンソンは、はまり役だった。
高揚感から、あるいはみんなとの比較から、ヒトラーユーゲントやナチスに惹かれる息子ジョジョに、優しく、繰り返し、正しさや強さを教え込もうとするその姿には、何か危機感のようなものすら感じた。
それは、その後、現実となってしまう。
街角に有る処刑台につるされた母親を見つける。
スクリーンから想像するに、それはレジスタンス活動の件で処刑されたのだろう。
画面に有るのは、母親のあの靴だけなのだけれども、そこが処刑台で、それが母親ロージーであることがわかる。
その靴のほどけた紐を結ぼうとするのだが、あれだけ教えられたのにジョジョにはできなかった。
ただ泣き崩れるだけだった。
突然の別れの後、ジョジョは、母親の教えを理解し始める。
ここがどこで、どんな状況に有って、自分は誰で、誰とともに生きていくのか。
母親を失ったジョジョが、誰とともに生きるのかということは重要だった。
そこにいたのが、(いつから居たのかわからないけど)ユダヤ人の少女だった。
ジョジョが生きる上で、そこには既に”ナチス”も”ヒトラーユーゲント”も必要ではなかった。
彼は、彼の考えで生きることを考え始める。
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彼の意思とは別に、戦況は劇的に進んでいく。
既に、ナチスの勢いはなく、敗北寸前だった。
そこで、最後の悪あがきをする大人たち、その混乱に巻き込まれる子供たち。
ジョジョはそれらを見た。
そこには、ジョジョが憧れ、頼りにした大人(キャプテンK)もいた。
でも、それは既に大人の体をなしていなかった。
街は戦場と化し、ナチスは破れた。
その戦場は、愚かさと混乱に満ちていた。
これが戦いの生の姿だ。
頼りにした大人(キャプテンK)が最後に助けてくれた。
あるいは、それは戦争の愚かさを見抜いていた数少ない大人の存在を込めた姿なのかもしれない。
そして、ジョジョは、ともに暮らしてきた人と向き合う。
母親はもういない、残るのは壁の隠し部屋の少女だけだ。
そして、終戦。
自由が訪れる。
それは、ジョジョにも、そして少女にも。
さあ、どうするジョジョ…
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この映画で描かれたのは、まさしくナチス政権下のドイツ人の姿。
少年少女は、ヒトラーに憧れ、ナチスを礼賛し、ヒトラーユーゲントに入ることを夢見る。
大人たちは、いつの日からか、ナチスを礼賛することになれてしまい、多くのことに無関心になり、日々を生きることにのみ働く。
ナチスの指導の下、ユダヤ人を差別し、捕まえ、強制収容所へ送り続けた。
その先に何が有るのかを知らないわけではないのに。
そんな中でも、反ナチスの動きは絶えることなく、政権への反旗は生命にかかわることを覚悟で、ユダヤ人を保護しかくまった人々も居た。
少年少女と親たちの関係、そこにユダヤ人が関係する。
非常に複雑で、危険に満ちた日々がそこに有った。
その様々な要素を盛り込みながら、感情豊かに人々を描きだしたのだ。
特に、少年少女の高揚感をジョジョの姿を通して描いた。
そのジョジョと向き合う一人親のロージーの苦悩が心にしみた。
そして、恐怖の時代を必死に生きようとしたユダヤ人の少女を、弱々しくではなく、むしろ芯の強さをもって表した。
こうして、特徴の有るキャラクターに加え、それらの感情の下に有った”ヒトラー”そのものを登場させる。
ヒトラー役を監督自ら演じるのも、この物語の背景、エネルギーがそこにあったからだろう。
これらの登場人物が、賑やかに演じるストーリーにも見えるが、この舞台を理解していれば、全く別の風景が見えてくるはずだ。
それがこの映画の本当の姿であり、ザクッと胸に突き刺さるところだ。
この戦時下と思えないほどの鮮やかなスクリーンが、リアリティーをもって受け止められるところだ。
史実を丁寧に積み重ね、考証を重ね、その上で大胆な人物表現とストーリー展開。
これこそが、映画表現なのかなと思った。
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