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Nico, 1988(原題)
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『Nico, 1988(原題)』に投稿された感想・評価

[ホントの名前で私を呼んで] 40点

ニコ、或いはクリスティナ・ペーフゲンと呼ぶべきか。クリスティナ・ペーフゲン、或いはニコと呼ぶべきか。歌手でありモデルであり女優であった"ニコ"という女性の最晩年に焦点を当てた映画である。

正直陰で麻薬やってる歌手の実話ベース年代記は見飽きたんだが、本作品に至っては薬中のしかも晩年のニコを使って監督が何を言いたかったかがマジで分からない。折角時代が流れてニコを知る人間が少なくなっているのだから、もっと輝いていた頃を映画化してやれなかったのか。ウォーホルのミューズとして「チェルシー・ガールズ」出たとことかヴェルヴェット・アンダーグランドで歌ったこととか。彼女的には黒歴史なのかもしれんが、世間的には"映画的な"出来事なんだからさ。

あと、アラン・ドロンの息子が彼にそっくりとか言うんならもっとイケメンにしてくれ。シャラメを出せ、シャラメを。
YouTube. イタリア語吹替版。画質は良好。字幕はなし。よい。これはけっこうグッとくる。

イタリア人監督のスザンナ・ニッキャレッリが気になっているところ、YTに全編アップされているのを発見。デビュー作のDVDを先に見たかった気もするけど、あの Nico の話だから先に見ることことにする。関心のある方はこちらから。( https://www.youtube.com/watch?v=pZt7HyBaG8U&t=490s )

音楽もよい。演奏は「Gatto Ciliegia Contro Il Grande Freddo」。バンド名を直訳すると「サクランボ猫がものすごい寒さに立ち向かう」みたいな感じだろか。ボーカルは主演のトリーヌ・ディルホム。デンマーク出身のシンガーにしてアクトレスの彼女、歌もニコっぽいけれど、それだけじゃない。深みと厚みがある。ちょっとやばい。サントラ版はアップルミュージックに発見( https://music.apple.com/jp/album/nico-1988-original-motion-picture-soundtrack/1359767261 ) 。

調べてみると、この「サクランボ猫」というバンド、スザンナ・ニッキャレッリのデビュー作『アストロノート』も『ミス・マルクス』も担当している。ちょっと楽しみになってきた。

物語は謎めいたイメージから始まる。小さな女の子が、暗い地平線の向こうから不気味な音とともに立ち上がる赤い光を見ている。ママあれなに。ベルリンが燃えているのよ。そんなイメージ。ニコの生まれは1938年というから、ベルリン空爆のときは7歳。彼女の記憶に刻まれたイメージと音。それがこの映画の通奏低音となる。

そこからオープニングタイトル、Nico, 1988 の文字が浮かび上がる。その年の7月18日、それが彼女の最後の日だ。ちょっとでかけてくるわと息子に声をかけて、自転車で出かけてゆくニコ。そうなんだよ。その自転車で転倒し、彼女は帰らぬ人となる。知っている人には、それだけでハッとさせるオープニング。

そこからニッキャレッリの脚本は、1986年へ遡ると、彼女の単独のコンサートツアーを追いかける。エンドクレジットに記されているように、ニコの人生に基づきながらフィクションも入ってくるし、大胆な省略もある。アリと呼ばれる息子なんて、アラン・ドロンとの間の子だというのだが、そんなことはサラっと流している。

またフィリップ・ガレルとの関係や、『甘い生活』への出演などはすっ飛ばし、ひたすらヴェルヴェット・アンダーグラウンドとウォホールの話ばかりが登場し、その度にニコ/トリーヌ・ディルホムが「私が音楽を始めたのはその後なのよ」と繰り返すことになる。

その繰り返しが良い。なにしろ物語は、ニコのバンドのヨーロッパツアーを追いかけながら、インタビューと演奏とフラッシュバックで構成されるロード・ムービー。だから繰り返しながら道を進むのであり、そこには「反復」(Wiederholung)がある。

それをハイデッガーのように英雄的なものとして捉えるか、あるいはベンヤミンのように支配的な過去への叛逆としてとらえるか。大学で哲学を学びピサの高等師範まで出たニッキャレッリによるニコは、ぼくにはどうも後者のようにも見えるけれど、答えはない。

あるのは、ジョナス・メカスの日記映画からの引用が、それこそ反復的なフラッシュバックとして挿入されることで生まれる、ある種の酩酊状態。そこに反復されているドラッグカルチャーの疑似体験と、サクランボ猫たちの強烈な催眠音楽。あの低音のニコ/トリーヌ・ディルホムの響き。

これは名作だわ。なんで日本語版がないんだ。少なくともぼくにあぐっと来た。いやほんと。なにしろここには、おそらくこれまで見たことのないような女の姿がある。

それは、やばくてロックで、母親を捨てながら母親を目指し、ドラッグに溺れながら自分を歌い、あらゆるものに反抗しながらも、あの地平線の赤いベルリンのイメージと音を、そのルーツや過去にではなく、自らの現前に追いかけている生きた女なのだ。

かっけー!