津軽系こけし

ブライトバーン/恐怖の拡散者の津軽系こけしのレビュー・感想・評価

1.1
プロパガンダホラー


【この映画には文句がある】

レビュー書き殴ってから知ったが、アメリカ住の中国人へ向けたステルスマーケティングとしての見方もあるらしい。なんだかすっごい腹立たしいぞ

あらすじだけ聞くと私の好きそうな題材ではある。
「ミッドサマー」や「ジョーカー」など、暴力による悲劇からの解放があって、その超越性が美しさすら湛える作品である。しかも製作指揮に、「ザ・スーサイドスクワッド」や「スーパー!」のジェームズガンの名前があるとすれば、私の期待が膨らまないはずもない。

まあ、共産主義のプロパガンダに打ちのめされたわけだが。

今作の内容は、流行に従うのであればスーパーマン版ホワットイフ…!?が的確か。もしもスーパーマン的バックボーンを抱えた少年が親から愛されなかったら…?というお話。私情のためスーパーパワーで暴虐無尽を果たす少年の姿は、赤いマントも手伝って「AKIRA」の鉄雄さながらだった。
たしかにジェームズ・ガンが携わったこともあり、ところどころ光るものはある作品だ。しかし、それをひっくるめてもお粗末さに翳りはなくならない。

【キャリーにはあって今作にはないもの】

できることならこの映画はあまりに悪質なので語りたくないのだが、好きな題材である以上設定には突っ込ませてもらいたい。

超能力を私的事情で解放するアメリカの娯楽映画といえば名作ホラー「キャリー」がある。グロテスクへのアプローチや、若年層へのスポットという点も今作は合致する点が豊富だ。しかし、なぜ今作は「キャリー」ほどの鮮烈さを持ち合わせるに叶わなかったのか。

やはり悲劇の必然性ではないだろうか。暴力の解放というのは、「もしかしたら救われるかも」という希望との均衡を木っ端微塵に粉砕してこそ成り立つ。「ブライトバーン」という作品は、共産主義による一夜限りの殺戮ショーなので到底そんなものは期待するだけ無駄なのだが、せめて…

【不満を綴る時こそ生きる実感があるまとめ】

ラストから「Bad guy」への繋ぎもお粗末極まる。私がビリーアイリッシュの信者なこともあって、「Bad guy」の扱いの雑さが心底苛立った。正直流行にあやかっているだけでは?と思うくらいだ。「007」や「ROME」を少しでも見習いたまえ。

「解放の悪」という題材は近年になってようやく盛り上がってきて、もとよりの愛好家たる私は胸を膨らませて画面の前に至った。その真相は、中国の反トランプ思想と共産主義のプロパガンダであり、解放を愛する私の願いは映画ではない単なる装置の前に壊されてしまったのだ。

しいていえば、そういう簡単に人を欺くことができる表現家たちの才能に、私は恐怖を抱いた。
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