YasujiOshiba

ギレルモ・デル・トロのピノッキオのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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ネトフリ。23-23。ギレルモ・デルトロのパペット・アニメーション。ぼくらが目撃するのは、文字通り人形に命を吹き込むという魔法。その魔法が魅力的なのは、この世のものではないモノの存在を信じる少年の眼差し。浮かび上がるのは自由と愛、暴力と憎悪。

ガッローネの『ピノッキオ』(2019)が原作を忠実に映画化することでピノッキオの再・創造をめざしたとすれば、デルトロは原作の精神に忠実であろうとしたのだろう。ぼくは断然こちらに胸を打たれた。

冒頭、カルロ少年のシーンからぐっと来る。あれは原作者カルロ・コッローディの名前。その死からピノッキオの誕生への流れ、原作へのオマージュと同時に、独自のピノッキオを語るぞという宣言と見た。

だから舞台設定がムッソリーニ時代なのだ。ファシズムと戦争の時代。それはメキシコ人のデルトロが繰り返しとりあげてきたテーマでもある。メキシコは、スペインのフランコ独裁時代に反フランコの人民戦線側を支援、数多くの亡命者を受け入れた国なのだ。だから『パンズラビリンス』がそうであるように、デルトロは人間による暴力が生む恐怖に対して、自然界に潜む異形のものたちを召喚すると、ダークな世界にダークな世界からの異議申し立てを試みさせるのだ。

リアリズムではない。イタリアのファシズムがモデルだとしても、ムッソリーニはあんなに背が低くない。背が低かったのは国王のヴィットリオ・エマヌエーレ2世であり、子供じみた話し方もふくめて、どうやら歴史上の二人をあえて混ぜ合わせているのだろう。

それはたしかにリアルではない。しかし、ここには解釈と表現のリアリズムがある。眼を見張るのは、洗練されたパペット・アニメーション。演出の行き届いた表情。動き。ディズニーを古臭くし、ピクサーを時代遅れにしてさらに、ジブリをリスペクトしながら追い越してゆくようなアニメーション。

→パペットアニメの凄さを説明した映像。https://www.youtube.com/watch?v=RnFrTQ6WKXY

→デルトロ本人の説明。日本語字幕付き。
https://www.youtube.com/watch?v=inBqNUZivGc

ここにあるのは、歴史的事実をシンボル化し、フィクションの素材として精錬したもの。そこでは、あらゆるファシズム、あらゆる専制、あらゆる暴力、あらゆる憎しみへの異議申し立てが、あの誤爆に命を落としたカルロ少年のみつけた松ぼっくりから生まれると、最初はどたばたと暴れながら、やがて自制を覚え、分別を持ち、永遠の相のもとに再生を繰り返す。

しかし、その永遠もまた、やがては終わる。あのジブリの『天空の城』だって、最後の最後には崩れ落ちたではないか。人類という種が尽きてなお、その墓を守っていたロボットだって、スピルバーグの『A.I.』だって、人間になることのないピノッキオだって、いつかはその動きを止める...

ぼくらは、幸か不幸か、その最後をただ想像するしかないのだけれど。
YasujiOshiba

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