まさか

行き止まりの世界に生まれてのまさかのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

イリノイ州ロックフォードはミシガン湖畔のシカゴから西北西に140kmほどの内陸に位置する中規模の都市(人口約15万人)である。2018年にはWall St. Journal紙において、全米で最も劣悪な都市ランキングで16位になり、2019年には同紙において全米で最も危険な都市ランキング8位になった。さらに2013年にはForbs誌から全米で最も惨めな都市ランキング3位の不名誉な称号を与えられている。

かつては鉄鋼業や自動車産業の隆盛によって栄えたが、現在はラスト・ベルト(錆びついた工業地帯)を象徴するような空気の底に沈んでいる。そんな荒んだ街に生まれ、家庭環境にも恵まれない3人の少年が、束の間の救いを求めて、あるいは気を許すことのできるもう一つの家族として選んだのが、スケボー仲間だった。

黒人、白人、アジア系と人種も異なる3人の少年(キアー、ザック、ビン)は、スケボーが好きだというその一点でつるむようになった。家庭には暴力もあったが、生命の危険をもたらすほど激しくはなく、彼ら自身も重い犯罪に手を染めることなく、ハードなドラッグに手を出すこともなかった。スケボーという生きがいが、かろうじて彼らを精神的な危機から救っていたのだ。スケボーが彼らの逃げ場所であり、生きるよすがであり、喜びの源泉であった。

スクリーンには冒頭から最後まで一貫して、公道を疾走し、壁をジャンプして越え、空中で回転するスケートボードの映像が何度となく挟み込まれる。経済的な不況が根を下ろした街には人影も車の影もなく、広い道路には、疾走するスケボーに乗った少年たちの姿のほかには何も見えない。彼らはボードの上では無限の自由を手にしているように見える。

一方、ボードを降りたときの彼らは日々の小さなトラブルや苦悩を前に、冴えない表情を見せる。親との関係が悪い。兄弟との関係も良くない。おそらく学校でも浮いていたのだろう。白人のザックは就労年齢になっても定職に就けずに酒浸りの日々を送る。生まれた子供の世話をどちらが負担するかで、日常的に夫婦喧嘩を繰り返す。黒人のキアーにしても、レストランの皿洗いという単調で苛酷な仕事に倦んでいる。

本作を観ていると、スケボー少年たちの絶望的な日常が、決して彼らだけの問題ではなく、少なからぬアメリカの若者たちに共通するものではないかと思われてくる。

イリノイ州ロックフォードという、さして大きくない中西部の都市の、さらに小さなコミュニティに生まれ育ったわずか3人の暮らしぶりをもとにして、アメリカという広大な国の問題を論じるのは無理があるだろうか。彼らの人生は彼らが選び取ったものであり、あくまでも個別で特殊な事例なのだろうか。広いアメリカにはもっと健全で豊かな人生が溢れているのだろうか。

もちろん、健全で豊かな人生がすべて絵空事だとは言わない。だが、産業の衰退に起因する貧困、生きがいを見出せない仕事、親から子へと連鎖する家庭内暴力、友人間でも払拭し難い人種差別的な視線。そうしたものがありありと刻印された映像を目の前にしたとき、直感的にこれは看過できない社会問題だと確信することになる。

殺人などの大きなニュースにならない限り人々の目にはつきにくいが、日常に根を下ろした世界の歪みが少しずつ若者たちを蝕み、やがて社会全体が取り返しのつかないほど損なわれてしまうのではないかという不安を感じさせる。

原題は、Minding the Gap。ギャップに気をつける。ギャップとは裂け目、隔たり、不均衡、ズレなどという意味である。ここには複合的な意味合いが込められていると考えられる。一つにはスケートボードを滑走させているときに注意すべき路面のギャップ。他には、社会に生じた裂け目、家族や友人との隔たり、貧富の差なども含意されているはずだ。

トランプはアメリカの分断を加速させたと批判されるが、トランプ以外の大統領が誕生すれば事態が即座に改善するというほど現実は甘くはない。本作はその厳しい認識を指し示してもいる。

「衣食足りて礼節を知る」の真逆の事態が進行する社会に生まれ、生き抜かなくてはならない彼らの哀しみに触れるとき、事あるごとに自己責任だと主張する者どもの無慈悲と思慮の欠落をまずは訊すべきだと思わざるを得ない。誰しも好んで不幸の果実を手にするわけではないのだ。そこには必ず理由がある。

本作は3人の若者たちの日常を丹念に追うことでアメリカ社会が直面する問題を浮き彫りにした。若者が近未来に向けて小さな希望すら繋ぎにくい社会になっているという深刻な問題である。

キアーのどこか寂しげで優しい笑顔が印象的だ。そして、彼が亡き父親の墓の前で流す静かな涙の裏には、人には言えない複雑な思いが横たわっているであろうことに胸を締め付けられた。

ザックが河のほとりで口にした独白には思わずもらい泣きをしてしまった。「子供には俺みたいな最低の人間になってほしくない」。吐き出すようにそう言う彼に、誤解されることなくかけるべき言葉があるだろうか。

そして、監督のビン自身が、関係の疎遠な母親に自らインタビューするシーンの緊張感には、観ているこちらが背筋の冷たくなる思いをした。自分の再婚相手が子供にふるった暴力に、あなたは気づいていなかったのかと問う息子に、母はただ涙を浮かべで許しを請うていた。

行き止まりの世界に生まれた彼らは、そこにある壁をどのように乗り越えていくのだろう。エンディングには微かな希望を感じさせるシーンもあるが、その細い糸を彼らが手放すことなく手繰り寄せて、少しでも幸せになってくれることを祈るばかりである。

ちなみに本作は3人のうちの1人、ビン・リューが趣味でスケートボードの映像を撮り始めた少年時代から、映像の仕事に就いた青年期までの12年間の長きにわたって撮りためた膨大なフィルムを編集してまとめた作品である。

ビンは本作で監督デビューを果たし、いきなりアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞やエミー賞ドキュメンタリー&ノンフィクション特別番組賞をはじめ、世界各国の59の賞を総なめにした。今年31歳になる彼の未来は、間違いなく明るい。
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