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https://youtu.be/n_xMyx_SogA
すっかりアカデミー賞ノミネート常連となったマーティン・マクドナーが、映画作家としてのキャリア初期に手掛けた短編映画。
ひたすらペシミスティックで死のムードが漂う室内会話劇だ。
「無垢で罪のない存在が遂げる非業の死」
という要素はのちの
『ヒットマンズレクイエム』(教会の少年)
『スリービルボード』(ミルドレッドの娘)
『イニシェリン島の精霊』(ロバ)
など、多くの作品に通じている。
この設定に限らず、マーティン・マクドナーは自身の作品で「神への不信感」を露骨に表現する作家だ。
神父をヒドイ目に遭わせたり罵詈雑言を浴びせたり、聖遺物に全く興味を示さない人物を主人公に据えたり。
その傾向が、初期の映画作品である『six shooter』ですでに表現されているのは興味深い。
フランシス・マクドーマンドにオスカー主演女優賞を獲らせた『スリービルボード』はレイプされて殺された娘の敵討ちに執念を燃やす人物が主人公だが、これは『処女の泉』の設定と一致している。
監督のイングマール・ベルイマンは同作をはじめ複数作品で「神の不在」というテーマをたびたび扱った。
「万能の神が本当にいるのならば、何故この世に理不尽な死や悲劇が尽きないのか?」
この問いかけはアブラハムの宗教が永遠に抱え続ける命題。
『six shooter』は現代流に「神の不在」を描くマクドナーの作家性の端緒という点で重要な一作だ。
※ちなみに『six shooter』には後にマーティン・マクドナー作品の常連となるブレンダン・グリーソンに加え、彼の息子ドーナル・グリーソンもチョイ役で出演している。
【あらすじ】
主人公の男性(ブレンダン・グリーソン)は愛する妻の死を医師から告げられ、呆然とする。
帰りの電車で乗り合わせた横柄な青年と会話を交わす。
「おれの母親は昨日殺されたんだ」
と語る青年に、主人公は
「私の妻も、亡くなったばかりだよ。もう神を信じられない」
と打ち明け涙を流す。
近くの席に座った夫婦に横柄な青年が声をかけ、夫婦は生まれたばかりの赤ちゃんが亡くなり悲しみに暮れていることを知る。
青年は無神経にも、亡くなった赤ちゃんや夫婦を侮辱するような発言を繰り返す。
その後、母親は列車から身を投げて自殺。
警察の取り調べが終わり、列車は再び動き出す。
降りる駅が近づき、主人公は青年に別れを告げて出口に向かう。
その際、沢山の警官が列車の方に銃を構えて立っているのが窓から見える。
それを見た主人公は、さっきの青年の母親を殺したのは青年自身で、彼は警官に追われている事実を察する。
青年は手持ちのリボルバーで応戦するが、警官隊にハチの巣にされて死ぬ。
主人公はこっそりと青年が落としたリボルバーをポケットに入れ、帰宅する。
自宅のテーブルにつき、銃の中身を確認する主人公。
中身は二発の銃弾が残されていた。
悲劇的な死を続けて目の当たりにした主人公は神を信じられなくなり、飾っていたキリストの肖像を見えないように伏せる。
そして亡くした妻の写真に向かって
「私もすぐにそちらに行くよ」
と言い残し、銃を構える。
まず一発目で飼っているウサギの頭を吹っ飛ばす。
そして自分の頭を撃ち抜こうとしたが、手が滑って二発目があらぬ方向に発射される。
「最悪な一日だ」
死に損なった主人公はそう呟き、映画は幕を閉じる。