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スウィング・キッズのangie2023のネタバレレビュー・内容・結末

スウィング・キッズ(2018年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

面白く、よくできた映画である。コメディ要素を強く出しながら始め、テンポ感で映画のスピードを上げていく中で、どんどん味が染み込んでいく。気づいたら壮大なテーマに踏み込み、これがただのユートピアではないことに気づいた時には、最悪の悲劇へと物語は突き進んでいた。裏切られた気もする。迂闊に呑気に見ていた自分を後悔もした。一筋縄ではいかない、シンプルに映画は進まない。

タップダンスはイデオロギーが多分に含まれている。それはアメリカであり資本主義であり、それはもともと宣伝のために始められた。しかし、当の本人たちは魅了されていることをわかりつつも、決してそれを享受することが、一見アメリカ的に見えたとしても、本人たちにとっては「ノープロブレム」であるのだ。タップダンスのイデオロギーを脱構築し、ギスは踊ることそのものにエネルギーを見出していく。それは衝動的なものだった。イデオロギーが思想という頭脳を使うものだとしたら、タップダンスは身体的に、衝動としてギスを取り囲む。彼がタップを踏む躍動感は、素晴らしいカメラワークと編集により、存分に伝えられている。

しかしそのエネルギーは、次第に葛藤となり、築かれたユートピアは悲劇へと進んでいってしまうのだ。その葛藤を表した、ボウイの「モダンラブ」のシーンは、カラックスの完全なるオマージュであることを理解しつつも、私はやはり胸を打たれ、ボロボロと泣いてしまった。そう、エネルギーだ。自らを掻き立てる衝動だ。それは身体でしかわからない。だが、「ファッキン・イデオロギー」は無情にも、その衝動を断ち切る。狭いダンスホールの扉を蹴って、大地で踊るギスと、貧困と悲劇の最中にいる民間人女性、パンネのタップが重なり合う。このタップは、前半に描かれたコミカルかつシュールなダンスとは全く異なっている。一つの映画で多様にダンスシーンを描くことは、かなり難しいことだ。全く印象が異なるダンスは、もうすでに物語が悲劇的な方向へと向かうことを示している。

「反動分子」であるギスの、逃げ道のなさは、彼を悲劇的な選択へと向かわせることは、最初から示されていたはずだ。物語は裏切りや伏線回収へと進み、残酷な殺戮のシーンも含まれるようになる。平和であると謳われた捕虜刑務所は全くそんなものではなく、常に死の危険性と、反乱の可能性に溢れていたのだ。ダンスはそれをかき消すものというよりかは、そのような残酷な場所と奇妙に共存している。そのことを表すのは、やはり素晴らしいクリスマスの公演シーンであろう。この後待ち受けるギスの悲劇は、目の前の、躍動感に溢れ、絆を感じさせ今までの軌跡を思わせる、タップダンスと共存している。同じスクリーンに、二種類の矛盾する感情が溢れ出していたのだ。想定した以上に悲劇として、瞬間的にチームは解散してしまう(主要な登場人物たちが瞬間的に殺害される)この描き方は、生半可なユートピアを批判し、現実と史実の冷たさを一瞬で表現するだろう。タップダンスでイデオロギーは変えられないし、イデオロギーはいつまでも構築され続けるし、その間、ずっと理不尽で突然で暴力的な殺害は行われ続けるのだ。それは衝撃となり、観客の記憶に刻まれるだろう。始まった時は非常に好調で、面白くコミカルで、軽いものにすら思われたのに、最後映画館を後にする足取りが重いはずだ。

イデオロギー、南北間の戦い、資本主義、共産主義、アメリカ、中国、そして日本(沖縄)、黒人、東洋人、ヤンキー…さまざまな要素が、戦争という二文字に付随して浮かんでは消えていく。タップダンスというある種のイデオロギーは、衝動的な身体性により脱構築されたのだろうか。示されたユートピアが悲劇を引き起こしたことは、そのような理想論を否定したい気持ちになる。しかし物語は最後に的確な答えを示す。今までなぜかカットされていた、ジャクソンとギスのダンスバトルが物語の最終的な締めくくりとなった。それは、タップダンスが、戦いを超えた調和とリズムを生み出すことを語っているだろう。つまり、ダンスで戦い、戦っているはずなのに、次第に共鳴し、最後はともに合わせて踊り、一つのリズムを作り出す。このタップバトルの美しさは、直前まで展開された悲劇を受け入れつつも、かすかな希望を示しているのだ。


感情が揺れ動く、ジェットコースターのような展開に、詰め込みすぎた要素。混乱もあるが、それ以上に、「面白いし、見てよかった」そんな気持ちにさせられる。同時に、朝鮮半島の現代史をさほど知らない私は、改めて勉強の必要性を感じた。(映画は常にきっかけとなる)
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