高井戸三郎

天気の子の高井戸三郎のネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

破顔爆笑、満面の笑み
物語人物台詞背景すべてに新海誠が漲っており、新海誠が漲りながら作ったことが伝わってくる。
じっくりコトコト煮詰めた特濃無調整新海誠



実は「猫」の系譜を考える際に、本作を考慮に入れていなかったことに気がついたので久しぶりに見返したのだが、ここにはかなり「猫」に近いものが現れていると思える。

そのことは端的には、東京での生活に行き詰まり雑居ビルの入口でうなだれる帆高がアメと邂逅することで示されており、それを裏打ちしていくように、物語はその後、帆高がいかにアメと近い存在、つまり、世界に対して無力であるかを示しつつ、そんな世界の秘密に通じる陽菜との出会いと連れ立っての逃避行、そして陽菜を求める彷徨へと進む。

彷徨は彼岸の陽菜へと至り、となると、これはもしかして、すわ「猫」がついに悲願を遂げるか、と色めき立つのだが、ここで思い返すべきは、帆高が想いを遂げるには世界を変えなければならなかったという事実だ。

ハイデッガー(を読むデリダ)が言うように、人間には世界が有り、石には世界が無く、動物は世界が貧しい。
動物を人間から分けるのが、ユクスキュル的な環世界に働きかけ変える力能を持つか否か、その一線だとすれば、「彼女」と共に在れるように世界を変えてしまった、あるいはその重みを自認する点で、陽菜とともに天から降りた帆高は「猫」であり得ず、やはり人間なのだ。

つまり、本作では確かに「猫」は現れているが、しかし、その現れかたは彼が人間へと変貌していく過程としてあり、私が切望する「猫」が「猫」であるまま迎える別様の物語ではないのだ。
-0.1は、そんな厄介なファンとしての矜持。
高井戸三郎

高井戸三郎