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天気の子のfumingのレビュー・感想・評価

天気の子(2019年製作の映画)
3.4
新海誠アングラ時代の集大成のような映画。大ヒットした君の名はとはかなり違う趣向の映画。
いわゆるセカイ系作品、主人公の若者とヒロインが世界の命運を握る、大人が悪役など思春期の清濁をこれでもかと注ぎ消化した作品で、なんというか2000年代PCゲームの文脈を正統に継承した一作だと思う。巷では「PS2版天気の子を俺たちは多分プレイしたことがある」とか言われていたが、まさに言い得て妙な評価だと思った。そして、本作を最後に新海誠はかつての「戻らない青春時代の慟哭」のようなテーマ性の映画から、君の名はで不動のものにした「大衆性の高いエンタメと人々の絆」をテーマにしたものにシフトチェンジしていく。

本作を観て感じたのは、本作はセカイ系作品の根幹とでも言うべき「社会と大人への不満・不信感」と「行く先の見えない暗い未来」への風刺をかなり具体的に描写した作品だと思った。売春をする一歩手前まで困窮していたヒロインや自分を受け入れてくれる人と出会えず半ば故郷を捨てた主人公、そしてそんな「オトナ」に対する反逆の牙の象徴としての銃など、登場人物たちの周囲にまとまり付く空気や要素は重い。また、バニラカーをオブラートに包まず登場させたり、「昔は夏は爽やかで気持ちの良い季節だった。今の子ども達は可哀想」といったセリフなど、これからの社会に対する悲壮感と諦観のようなものも受け取れる。

総評としては、非常に脆くも純粋な感性を取り扱った作品だと思う。個人の幸せと社会の幸せ、一体どちらが正しいのか。正しさよりも大切なものはあるのではないか。主人公は劇中にも登場するサリンジャーの小説よろしく、社会の閉塞感と自分達の不自由さにもがく若者である。この姿に在りし日の自分を重ねた人も少なくないのではなかろうか。
また、監督自身も大ヒット大衆映画を生み出したばかりに、もはや商業主義の呪いからは逃れられない立場になってしまったと思う。よって、この作品はある種ポピュラリティー映画への抵抗の表れのように見えるし、また監督自身がかつての自らの作品群にお別れを告げている一種の遺作のようにも思える。
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