タカヒト

天気の子のタカヒトのネタバレレビュー・内容・結末

天気の子(2019年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

最初のモノローグは退屈で、できの悪いあらすじを聞かされているようだった。まったく物語上必要のない時間であり、面白みもないから無くして良かった。オープニングなのにオープニングとしての効果を果たしていない。これなら無くてよかった。

彼らの恋愛が物語に与えられた記号でしかないこともそうなのだが、基本的に恋愛は極めて個人的な行為で、そういう光景が見えてきて欲しいと思った。とりわけ、陽菜が服を脱いで空との同化を示すシーンは、帆高の「イニシエーション」になり得る場面だが、ショットの構成や「服を脱ぐ」行為に対しての「エロ」が無さすぎて掴み所ない場面になってしまった。もっと、寄りの絵を増やし、指先の動きとかそういうものにスポットを当ててよかったのでは無いだろうか。
帆高の女性への距離の取り方に一貫性がないのも問題だろう。女性の胸をありがたがって覗こうとする男子高校生が、年上の女性にいきなり名前で呼ぶだろうか。
そもそも主人公はどうして離島を離れて東京に出たのか。閉塞感だとして、だがそれはあれだけの苦しい経験をしてなお戻らないような重大な問題なのか。少なくとも作中で提示される情報からは感じられない。それから、この映画に拳銃は必要だったのか。警察に追われるという構図を取るための道具にしかなっていない。そこに感情を描いていくべきだった。だいたい、現実感のないこの物語に警察や児相が介入したことで現実的な重みを持ってしまって、それがこの作品を潰してしまっている節があると思う。警察が出てくるなら政府はじめ行政機関の動きだって見えてくるべきなのだ。何ヶ月も雨が降ったら農業は壊滅的な打撃を受けているだろうし、そういう物語を延長したところにある光景が影としても見えないのは良くなかった。

色々と整合性が壊れているし、物語の構成としても稚拙で、この作品が優れているのは最後の15分間の盛り上がりくらいである。そこまでの展開はもはや前振りにすらなっていないように個人的には思われた。作品の半分は別に無くてもいいもので、受け手になにかを訴えてくることはないし、日常を描いたにしては受け手からの共感が向けられるような構造にもしてないし、ちょっと雑すぎやしないか。もう、賛否が分かれるとかそれ以前の基本的な部分に問題が見られた。


読後感というか、見終わったときの心地よさはあらゆる映画を凌ぐものがあると思うし、結局映画はそれが全てとも言えるし、まあ、楽しむ分にはとても楽しめると思う。

高架線を走って移動するシーンは、おじさんたちが止めないのは現実感に欠いているとしても、災害が持つグロテスクさの現れとして、僕は肯定的捉えたい。数少ない「凄み」を感じられるシーンだったと思う。













以下はオールナイトで観た直後の書きなぐり。あえて消さない
冒頭のモノローグから失敗している。下手くそなあらすじを聞かされているよう。最初の5分はこの映画に要らなかった。というか半分くらい削っていい。
この映画が優れているのは、最後の15分くらいだろう。だからか、映画を見終わったその時はそこそこ心地よく終われた。それは男と女が結ばれて、質の高い音楽で、美しい映像で締めくくられているからだろう。ただ、それだけの映画でしかない。

女の胸をわざわざありがたがって覗こうとするような16歳の男子が、年上の女性をいきなり名前で呼ぶだろうか。苗字で呼ばないだろうか。主人公の異性への距離の取り方に一貫性がなくて気になってしまう。

田端に住んでいる女の子がわざわざ新宿のマクドナルドまでバイトをしに行くだろうか。治安が悪く警察の目が行きどどいていない場所だからというのであれば、マックよりコンビニでバイトすべき。

そもそも主人公の男はいったい何に駆られて離島を離れ東京に出たのか。閉鎖的な空間に嫌気がさしたとして、島を出て、あれだけ苦しい思いをしてなお帰らないのはまず感情移入できないし、設定として与えられた記号に過ぎない。拳銃だって必要だったのか?

最後だって、須賀は前科を抱えた(であろう)大人に見えない。主人公だって高校を卒業してんのに、まるで成長が見られない。そこは大幅に変化していいだろう。


物語そのものが記号的で、それっぽいものを羅列しただけ。主人公が結局何に苦しみ、銃を使い、あれだけ陽菜に惚れたのか。何もわからない。成長譚であるのに、作品の中にイニシエーションになりうるようなことも殆どなくて(なんなら陽菜が消える前に性行為に及んでもよかった。弟の横で)、バイオレンスな重みが足りない。賛否分かれるとかそれ以前の問題だろう。
タカヒト

タカヒト