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シークレット・ヴォイスのエンタのネタバレレビュー・内容・結末

シークレット・ヴォイス(2018年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

自分の身体の一部に触れることは、「触れる身体と触れられる身体の両義性」が生じることである。メルロ=ポンティが提唱した身体の「二重感覚」は、自己の原初的な気づきとして、そして、自己が客体化される両義性を持つ。

自分の顔を自分で触れる「二重感覚」を通して、自己を理解する冒頭から、本作は自己の両義性について深く洞察された作品だ。

記憶を無くして「主我(I)」が不在のリタと、アーティストとして社会的な名声を得たことでリタである「客我(me)」を保証してくれるマネージャーとヴィオレタ。少なからず、主我と客我のギャップを題材にする「パーフェクトブルー」に通じるだろう。

しかし、バックミラー越しに「私は本物だよ」と微笑み、さもIとmeが不断になったかのように見せる未麻の姿と比べ、互いにmeを取り込み、lを徹底的に消そうとするリオとヴィオレタの姿は、一考の余地がある。
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