カツマ

シークレット・ヴォイスのカツマのレビュー・感想・評価

シークレット・ヴォイス(2018年製作の映画)
4.2
その影の向こうに海がある。手招きするようにざわめく潮騒、そこはもう戻れない夢だった。揺れる天秤、乗せているのは夢と現実。十字路に立たされた時、彼女の身に究極の選択が待っていた。不穏なノイズ、翳る歌声、歪なダンスがもう後戻りできない沼の底へと導いていくかのように鳴り響く。ただ夢のように堕ちていく、それは抗えないほどに現実だった。

『マジカルガール』を撮ったスペインの鬼才カルロス・ベルムトが続いて送り出すのは、引退した国民的歌手と、彼女の歌とダンスを完コピできる熱狂的なファン、二人を中心に渦巻く愛憎入り乱れるドラマであった。『マジカルガール』と同様、知らず知らずのうちにその物語が不幸のドン底へ向かっていく予感が終始漂う。能天気に明るいテクノポップが、ジメジメとした不安と狂気を腹の奥へと押し込んでいくかのような作品だった。

〜あらすじ〜

海辺に打ち上げられた女性。彼女は駆けつけたもう一人の女性の救助によって何とか一命を取り留めた・・。
ベッドの上、元国民的歌手のリラ・カッセンは記憶を無くし、途方に暮れていた。彼女は10年のブランクの末、復活ツアーが目前に迫っていたが、記憶喪失のままではかつての輝きを取り戻すことなど不可能だ。
リラは無気力なまま開いたパソコンで、自らをエゴサーチすると、そこには自分の歌とダンスを完璧に再現する女性の動画がアップされていた。
そこで長年リラのマネージャーとして彼女を支え続けてきたブランカは、動画の女性ヴィオレタを雇い、記憶を失ったままのリラに歌とダンスをレッスンするよう打診する。
リラの熱狂的な信者だったヴィオレタはその依頼を受けることにするも、当のリラは全盛期のオーラを失っており・・。

〜見どころと感想〜

この映画はリラとヴィオレタが中心ではあるが、もう一人ヴィオレタの娘マルタの存在が大きな意味を持つ。マルタは物語の胸糞要素を一手に引き受けるモンスターチャイルドで、23歳にもなって定職にも付かず、ヴィオレタからお金を無心しようとする愚かな娘。とにかく腹立たしいキャラクターで、彼女の登場シーンになると爆裂な胸糞映画に変貌する。だが、彼女のその特性こそが、この映画をあらぬ方向へと向かわせることになるのだ。

カルロス・ベルムトは『マジカルガール』でもそうだったが、思わぬシーンに思わぬ音楽を挿入し、面妖で不気味な空間を作ったかと思えば、その不穏な空気を少しずつ蓄積させては、ラストに美醜入り混じる爆弾を鑑賞者の手元に投げてくる。この作品もまさにそのパターンそのままなのだが、肝心なシーンは切り取られており、その解釈は多様にミュータントなまま宙ぶらりんで放られていた。だが、きっと想像すれば分かるはず。夢と現実が入り混じる世界は、結局は現実という海の上へと着地するしかないのだから。

〜あとがき〜

果たして最後まで見てこの映画をどう解釈するのでしょうか、観た人にぜひとも感想を聞いてみたい作品です。個人的な見解はありますが、ネタバレになるのでここには書きません。象徴的な最初のカットの意味、ヴィオレタと娘マルタとの関係性を描いたことの本質、それら全てが一緒くたになって突撃していくラストはなかなかに見応えがありました。

カルロス・ベルムト、スペインが生んだ新たな巨匠誕生となるか。東京国際映画祭で上映された後は『未体験ゾーンの映画たち』で期間限定公開のみでしたが、個人的には前作『マジカルガール』よりも好きでしたね。サスペンスとして上質で、物語も謎めいていて魅力的。この監督の次なる作品を楽しみに待ちたいと思います。
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