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シークレット・ヴォイスのtntnのレビュー・感想・評価

シークレット・ヴォイス(2018年製作の映画)
4.5
挑発的。人には言えない葛藤を抱えた歌手が「本当の自分」なるものを手に入れる様を感動的に描く、IMAX音楽映画が大ヒットを飛ばし続ける昨今にこんな映画を放つとは。しかも監督、脚本を手掛けるカルロスベルムトは劇場デビュー2作目。
前作マジカルガールはノワールだったのに対し、本作は2人の女性の人間ドラマが中心だから確かにストーリー自体の急展開は控え目。それでも劇中で語れる要素の濃密さは前作を大きく凌駕していると思う。

記憶喪失に陥りかつてのように歌い踊れない歌手リラ。部屋の壁にステージでの自分を投射しながらそれに染まり切れない彼女。リラにとっての自己とはなんなのか。早くもテーマらしきものが浮かび上がる。ところが、本作はそこからが始まりだ。クラブで男にナンパされるリラそっくりの女性ヴィオレタ。家庭に居場所がなく、友達も恋人もいる気配がない彼女は、大ファンのリラの仮装をし完璧に彼女のダンスと歌をマスターしている。そんな二人が出会うことで事態は思わぬ進展を見せる。

リラの豪邸で共に時間を過ごすうちに、2人は距離を縮めていく。ところが、2人は互いの内面を見るのではなく、「大スターリラ」という1つのイメージに2人で向かっているみたいだ。そのイメージを見るのは、2人だけでない。リラのマネージャーも手のこんだ細工をしてまで、大スターリラを復活させようとする。けどそれは、アルバムやスピーカーやYouTubeの中にしかない。

本作は確かに現実的に考えると無理がある展開が多い。けれど、「スター」が世界に存在することの象徴だと考えれば筋が通るのではないか。我々は、テレビやスマホ越しにしかスターを知らない。ライブに行っても、ゴシップ記事の見出しになっても、街中ですれ違ってもその人本人の内面を知ることはできない。そりゃ他人なんだから。なのに、その人に幻想を抱いてしまう。バラエティ番組の些細な一瞬を切り取って「この人はこういう人なんだ!」と決めつけずにはいられない。この世のどこかに華やかな世界があってスターはその世界の住人なんだと考えることで、なんとかつまらない毎日を生きている。そう考えると、スターに限らず、恋人や家族関係にも通じるテーマかもしれない。

ラストの展開ははっきりとは説明されないが、幻想を守るためなら自らをも投げ出してしまったということなのか。スターの本性なるものが現れたとしても、それを受け入れることができないからか。「本当の自分」なんて、庶民もスターも持っていないかもしれない。ただ幻想の重ねあいかもしれない。それは切なくもあるが、彼女の表情は清々しそうにも見える。この点に本作の優しさがある。好きなものがあること。その残酷さとそれでも最後に残る尊さを突きつけられたら、映画という幻想を見てあれこれと考える人間はもう沈黙するしかない。
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