はまたに

パラレルワールド・シアターのはまたにのレビュー・感想・評価

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採点不能。

121分もかけて誰のことも描けていないことの凄さに驚嘆した。すべての焦燥の根源が「時間に巻き取られた10年間」にしかないのがすごい。30近い売れない劇団員。これだけで全部わかってね、鑑賞者の方で全部汲み取ってね、でぶん投げるのすごい。コアをはしょって(細部に神を宿らせることを拒否して)なお121分費やすのすごい。

少し世間に名の売れ出したノリの軽い二枚目(?)役が金のため、売れるためと劇団をかき乱す裏で誰よりも深く頭を下げている。とかいうこともなく、いつも寝ていて何も考えていなさそうに見えるムードメーカーがその実、誰よりも純粋に劇団のことを思っていた。ということもない。相応の箱を相応に埋めていた劇団が3年間も本公演を行わなかった(29歳の3年前は26歳だから劇団としては若手だよね)理由もなければ、ヒロインが大好きな演劇から離れ普通のOLに身をやつした事情もない。すべては30近くになっても先の見えない焦燥感から? だとすれば粗雑にすぎる。

あるいはそうした人物描写の定石や物語のクリシェを、この監督は忌避したのだろうか。それであればあのフリーの映画監督に対する手垢のついた造形に説明がつかない。ただのイヤなギョーカイジンではないか。ただウダウダ言ってるだけの連中にとって、あの映画監督が安っぽくイヤな奴として描かれるのがよいのか、一回り以上も年上の「フリー」の映画監督が連中よりもずっと長く泥水を啜るような生活をし、今なおその最中にあること。その意味を見せる方がよいのか。それはわからない。ただ、典型的なるものへの反抗として個々の人物の背景を描かない、という手法を選んだという仮説は通らないだろう。おそらくは、誰をも描こうとしなかっただけだと思うが。

劇中劇も機能していない(低レベルなB級SFにしたのはわざとだと信じたい)。
あの劇中劇は「ネコが死んだ世界」でしかない彼らの先の見えない現実とシンクロしながら、悲しいほど重ね合いながら最後の最後、箱を開けるその刹那にネコが生きている希望に満ちた世界線が輝きながら姿を見せる。そうした映画のなせる奇跡、演劇のなせる奇跡、表現という人間の切なる営みのなせる奇跡を描くべきだった(その奇跡は終幕とともに元のありきたりの現実に引き戻される。劇場を後にする私たちと同じように)。

劇団の行く末はあれでも構わないが(何を結末とすべきかは作家性に拠る)、そうであればシュレディンガーの猫のフリは変えるべきだ。フリとして成立してないのだから。

登場人物それぞれの背景を描き出しながら、それぞれの見据える視線に嘘はなく、それぞれの出す答えに非などない(そこに誤解や軋轢が生まれたとしても)。そうした物語を描き出すことが群像劇ではないだろうか。年取ってきた、焦るよね、じゃ、そういうことで。それで2時間。キツいって。

チャラ男が誰よりも頭を下げ、何も考えていないアイツが誰よりも演劇を愛していた。誰もが思い悩み光を求める中で、誰よりも空っぽだったのは僕じゃないか! それに気づいてからの佐々木。そんな物語が見たかった。

てか、起承転結くらいは意識してくれ。そんなに斜に構えなくていい。
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